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多士済済
投稿日時 2008-2-25 0:14:55
執筆者 rrb
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たしせいせい…優秀な人間がそろっていること。またそのさま。粒ぞろい。綺羅星。 ◇ちょっと予備知識 → 「士」は学問・道徳を備えた立派な人物。「済済」は数が多くて盛んなさま。 「さいさい」とも読む。「斉斉」と書くのは誤り。 類義語に人才済済(じんさいせいせい)がある。
通りゃんせ (童謡物語第12弾) vol.4 vol.3はここ(←クリック) 調べれば調べるほど壁にぶち当たる。まるで無限ループの迷路に迷い込んだようだ。「こんなことでくじけてなるものか!」と、川越発祥という説を捨て、他を探してみることにした。

すると、天の救いか、小田原市国府津に994(正暦5)年開基といわれる菅原神社があり、そこにも「わらべ歌 通りゃんせ 発祥の地」の碑があり、歌詞も刻まれているということがわかった。ここに答えがありそう。いや、あって欲しい!

この「通りゃんせ」の歌は、1921(大正10)年、「七つの子」や「赤い靴」の作曲家、本居長世が児童歌劇「移りゆく時代」の中で多少直して発表し、現在まで歌われるようになったといわれている。

そして、徳川時代に歌われていたとされる古いものには、 ♪ ご用のないもの通しゃせぬ の所が、 ♪ 手形のないもの通しゃせぬ だったらしいということがわかってきた。

手形といえば関所。関所という制度から考えれば、江戸時代に作られた歌ということになる。なんと、この歌のルーツは江戸時代までタイムスリップするのか!?

徳川氏は西国から江戸を守るため、箱根の剣に関所を作り通行を厳重にした。武士はもとより農民も商人も手形、つまり通行許可証を持っていなければ通されなかった。 ♪ ちっと通して くだしゃんせ ♪ 手形の無いもの 通しゃせぬ だったのである。

小田原市国府津の菅原神社。ここで考えると色々と解決できそうである。俄然、明かりが見えてきた…今京都。(続く) ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
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