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〜やの

投稿日時 2010-2-13 0:00:00
執筆者 rrb
やの
「ああしんどヤノ(くたびれたよ)」のヤノは「〜であることよ」の意味。詠嘆の助詞ヤとノの結合。江戸時代から女性の表現。東京の「じれったいね」は「しんきくさヤノ」という。辛気臭いはもどかしいの意。このほか、「嫌らしヤノ(キザだよ)」、「やかましヤノ」、「あほらしヤノ」のようにいう。「うらやましいね」は「うらめしヤノ」と言ったが、ウラメシは「恨む」から。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

則破りの結果
貴乃花引退後の大相撲は野球の米メジャーリーグの様相を呈している、という人がいる。つまり、日本のプロ野球選手が実績を作り、新たな自己実現を志してメジャーリーグを目指すのと同様に、モンゴル、ヨーロッパ、韓国など各国の格闘技者が世界最高峰の相撲に挑戦すべく来日しているのは同じことだという。



数々の不祥事を起こし、横綱としての品格が問われた朝青龍には「横綱といってもモンゴル人」という声も多かった。そう口にする人々も、メジャーリーグ中継を見て、イチローや松井、松阪ら日本人メジャーリーガーを応援する。個々の選手に対する印象論、好き嫌いが先立つにせよ、社会環境も生活習慣も異なる国で新たな自己実現に挑戦する姿は共通しているのに、その理解に温度差がないとは言い難いし、実際に温度差はあるだろう。



横綱として積み重ねた優勝は23回、通算25回の優勝実績も「25回も」と敬意を抱く人より、「綱の重みを理解していない」と受け止める人のほうが多いのが世の中の実感か。優勝25回という横綱を「大横綱」と呼ぶことなく、朝青龍の引退となった。相撲協会に大横綱の基準はないと聞くが、大鵬、千代の富士、北の湖、貴乃花ら20回以上の横綱に与えられる尊称であることは社会認識として定着しているのではないか。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

横綱推挙の内規に「品格、力量が抜群であること」とはあるものの「20代の青年に求めるのは酷」の声は昔からあったと聞く。朝青龍の昇進時、時期尚早の声もあったとされるが、優勝を重ねても大関に留め置くのもできないことである。朝青龍の場合は常に世間の耳目を集める存在感はあっても、品格を第一に掲げる内規通りの横綱になれなかったという結果だけが残ってしまう。たとえ力量があったとしても、「力」だけでは認められない、つまりは、「内規に殉じた」ということか。世の中には常に規則(ルール)がある。それを守らなければ、「力」があっても社会的地位は維持できないというお手本のようなものになってしまっていることに一抹の寂しさを感じる…と、天を仰いで思うこと。


 




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