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しまつ

投稿日時 2010-2-5 0:00:00
執筆者 rrb
まつ
倹約。質素。京都人はシマツする暮らしを美徳と考えてきた。金品を必要以上に惜しむケチではない。「手間暇かけてもお金はかけるな」とは台所をあずかる女の心得であった。食生活はシマツを旨とし素材を無駄なく使い切り、安価な材料を手間暇を惜しまずおいしいものにするのがシマツの心。テマモン(手間物)は多種多彩な細工野菜。料理として鉢皿に添える。「鉢もんにはテマモンが大事どす」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ごめかごめ(童謡物語第15弾) vol.5 vol.4はここ(←クリック)
しかし「すべる」のだから捕まってしまったというわけだ。それが「すべる」にはまだこんな意味もあった。間をすり抜ける、脱出するのである。そうなれば自由の身を得たという反対の解釈になってしまう。そして最後の意味深長なフレーズ、
 ♪ うしろのしょうめんだーれ
実はこの部分も黄表紙の頃には歌われていなかった。黄表紙にはこの「かごめかごめ」のことを昔から伝わる「かごめ物語」と記している。つまりこれは、最初のうちは「歌」ではなく「お話」、それも脱出の物語として語り継がれていたのである。それを子どもたちが遊びの中で歌をつくり育てていったのだ。



そうなれば自然発生的に語呂合わせのように、最後に
 ♪ うしろのしょうめんだーれ
と、つけたということも考えられる。「神様のいうとおり」などと同列なのだ。この部分が生まれることにより、この遊びは物当てや占いの要素を多分に含むようになっていった。「うしろの正面」は、それはまぎれもなく真後ろ、自分の目では確かめることのできない場所、つまり人間界と神との通り道のことなのだ。言葉などでは表現できない暗く大きなもの、それは過去だったり未来だったり、異次元だったりする。現世とはまるで違う世界を意味している気がする。だから見ようとして見えない所こそ、「うしろのしょうめん」なのである。自分で確かめてみればわかる。どうやったって絶対に見えない場所がうしろの正面なのだ。そう鏡を使わない限りは…。



鏡は魂を吸い取るものと昔からいわれてきた。合わせ鏡をしても、うしろの正面に隠されている人間界と神の通り道は見えない。さぁ振り向いてごらん。あなたのうしろの正面をみてごらん、みえるものなら。ということで今回の童謡物語はおしまい。この童謡物語、しばらく休憩したいと思う…今京都。 ※写真と本文は関係ないのであしからず。
★前回の童謡物語第14弾「うれしいひなまつり」はここ(←クリック)


 




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