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群雄割拠

投稿日時 2008-2-15 0:09:26
執筆者 rrb
んゆうかっきょ…多くの英雄たちが、各拠点に勢力を張り競い合っていること。複数の実力者が対抗して争っている状態。
◇ちょっと予備知識 → 「群雄」は多くの英雄・実力者。「割拠」はそれぞれに拠点を置いて勢力を振るうこと。
                類義語に治乱興亡(ちらんこうぼう)がある。
                対義語は千里同風(せんりどうふう)。

信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)の榎(えのき) vol.1



一本の大木を舞台にした坂本龍馬と妻おりょうのロマンチックな口伝が、武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)にはある。



江戸時代末期、龍馬は追っ手から逃れるためおりょうと離れ離れの日々を送ったが、二人の思い出の場所で榎(えのき)の木肌に伝言として「龍」の字を彫り、晴れて再会を果たすというもの。



武信稲荷神社の御神木でもある樹齢850年といわれる榎(えのき)は幕末の混乱期に悠然と二人の愛をはぐくんだ。同神社に伝わるこの物語は、当時、目の前に幕府直轄の六角獄舎があったことと深い関係があるという。



おりょうの父・楢崎将作は勤王の志士を支援した医師。1858年に始まった安政の大獄でこの獄舎に捕らえられた。



おりょうは父を心配し恋人の龍馬と向かう。だが面会は難しく、二人は高い榎(えのき)に登って安否を探ったというが、出会いは将作亡き後の1864年との説もあるだけにこの話の真偽は不明。



さて、幕府に追われる龍馬は京都で生きているとの証しに、目印に代えて榎(えのき)に名前に共通する一文字「龍」の字を彫った。



おりょうが思い出の場所を訪ねると見慣れた文字がそこに…。龍馬が京都にいることを知ったおりょうは共通の知人を介して再会できたという…今京都。(続く)


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