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へどもど

投稿日時 2009-12-5 0:00:00
執筆者 rrb
どもど
物を言うのに詰まるさま。「あわててヘドモドしてんのか」 あわててまごつくさま。しどろもどろ。ヘドは反吐、モドは躊躇する意の「惑い」に基づくか、あるいは「戻す」の意味か。シドロモドロのシドロはとりとめのないさま。マダラ(斑)と同系の語。「マット大きいのをおくれ」とモットをマットと言うのは、江戸時代の安原貞室『片言』にも記されている。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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峰寺/五百羅漢 (旧フォトヴィレッジ 2007年12月5日掲載)
江戸時代中期の画家・伊藤若冲(1716〜1800年)は、光琳派より宋・元の古画を学び、後写生を基礎として専ら動植物を描き、特に鶏画家として有名である。



京都高倉錦小路の青物問屋に生まれた彼は、仏教、特に禅への並々ならぬ傾倒を示し、30歳代半ばより相国寺の大典禅師に参禅。若冲居士の号を得てから、ひたすら禁欲僧のような生活を守り生涯独身を貫き、子孫を残さなかったという。後に宮中へ献上された「動植綵絵(さいえ)」や相国寺の「釈迦三尊像」など、精密な描写と豊かな色彩による名画を残している。晩年は隠棲者として、京都市伏見区深草にある黄檗宗の禅寺石峰寺(せきほうじ)の古庵を終の住家とした。絵一枚を米一斗と換えながら暮らす困窮ぶりだったという。



墓には「斗米庵若沖居士」と刻まれている。この石峰寺に伊藤若冲が自らデザインした五百羅漢石仏があると聞き、訪れた。羅漢とは釈迦の説法を聞き世人より供養される者をいうのであるが、釈迦入滅後その教えを広めた数多の賢者を賛嘆する意味で宋・元時代より五百羅漢の作成が見られる。



また、羅漢といえば、ユーモラスな表情の石仏群を思い浮かべる。若冲の五百羅漢は、表情豊かなさまは変わらないものの、釈迦の誕生より涅槃に至るものを中心とした、いわば釈迦の一代記を描く壮大な構図となっている。



この階段の先は寺の裏山。その一帯に、かつては1000体以上もあった羅漢が参拝者を迎える。現在残る羅漢は400体余りだという。階段を上り、門をくぐり寺の裏山に入ると、そこは竹林が広がっている。参道に沿って歩くと「釈迦誕生」「来迎諸尊」「出山」「説法」「涅槃」「賽(さい)の河原」などの場面が次々と現れる。中には、牛や動物のような形の石もあり、若冲自身の姿を現した羅漢もあるという。









羅漢の中には、風化し自然石のように見えるものもある。いずれ土に帰ってゆくことさえ、若冲は見越していたのだろうか…想いが馳せる。









ここは京都市伏見区石峰寺、若冲の五百羅漢が今も息づく。それにしても、「もう少し落ち着いて撮らなければならない」と、深く反省。毎週日曜日に掲載している羅漢とひと味違う羅漢さん…今京都。


 




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