フォトヴィレッジ

ふご

投稿日時 2009-12-3 0:00:00
執筆者 rrb

ワラで編んだ籠。ワラを円筒形に編み、蓋がある。保温用に飯櫃(いいひつ)を入れておく。フンゴとも。フカカゴ(深籠)に基づく。地蔵盆のとき、いくつかの町内ではフゴオロシといって、世話役が菓子などの景品をフゴに入れて二階から降ろし、路上の子どもたちに配り与えた。農家ではフゴに乳児を入れて寝かせ農作業に励んだものである。京都府南部では、技術が下手で仕事が粗雑な大工をフゴダイクと呼ぶ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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が森・花尻の森/おつう伝説 (旧フォトヴィレッジ 2007年11月23日掲載)
盆地の中央を高野川が南北に流れ、川に沿うように若狭街道(鯖街道・国道367号)が走る大原に、悲しい物語が伝わる。その物語とは…。
昔、「おつう」という娘がいた。ある日、若狭の殿様に見初められ、女中として若狭で暮らす。しかし、病に伏すと殿様の熱も冷め、里に帰された。ある日、殿様が再び大原を通りかかる。病身の「おつう」は追いかけることもできず、悲しみのあまり高野川に身を投げる。川を下る「おつう」は大蛇となり、殿様の行列に迫る。しかし、家来に、まっぷたつに切り殺されてしまう。村人たちは大蛇の頭を「乙が森」に、尾は八瀬との境にある花尻橋のたもとにある「花尻の森」に埋め供養した。
というもの。







以上「乙が森」

この「おつう伝説」は大原で広く知られている昔話。蛇になった清姫が僧安珍を焼き殺す「道成寺」を思わせる物語だが、内容には諸説ある。殿様を嫌った「おつう」が自らの意思で里に帰り、怒った殿様が「おつう」を切り殺したとか、若狭ではなく朽木の殿様だといった話もある。大原草生町の「乙が森」には「竜王大明神」の石碑が立っている。文献としては、1702年の「山州名跡志」に、夫を恨んだ女が水底に身を沈め、大蛇となって男を襲う『大原物語』として紹介されている。









以上「花尻の森」

しかし、『大原物語』には「おつう」の名はなく、ただ「京ナル女」と書かれているだけだという。また、1916(大正5)年に建てられた竜王大明神の石碑の趣意書には「森の沿革や来歴が分からないことが遺憾だ」とある。「おつう」とはいったい誰なのか…。地元では、江戸後期から明治時代にかけて、大原上野町に住んでいた実在の人物だといわれ、おまけに数年前までは本人の子孫を知る人がいたという。現在、『大原物語』は「おつう」の話として語られている。なぜ結びついたのか定かではないが、「おつう」は不幸な恋をした女性だったのではないかとみられている。大蛇の物語は、高野川は大雨になると水があふれ里人を悩ませたといい、荒れ狂う高野川から生まれたのだろうとの話もある。そう、以前に掲載した桂川の怪のように…。いずれにしても大原の土壌がはぐくんだ昔話が里人と結びつき現代に伝わっていることには違いない…今京都。


 




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