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表裏一体

投稿日時 2008-2-12 0:16:30
執筆者 rrb
ょうりいったい…2つのものが、分かちがたく結びつき、一体となっていること。また、そのような密接な関係。
◇ちょっと予備知識 → 「表裏」は、おもてとうら。切り離すことができないことから。
                類義語に一心同体(いっしんどうたい)がある。

ちがあく
「らちがあく」という言葉は、京都の上賀茂神社から生まれたといわれている。



現在も開催されている5月5日の競馬(くらべうま)の神事。ここに「らちがあく」の語源がある。競馬会の神事一切が滞りなく終わり、そして競馬場の柵、つまり埒(らち)を取り払うときに、いよいよ「らちがあく」ということである。



上賀茂神社においては、ただの競馬会の祭礼行事が終わったという意味だけではない。葵祭は現在5月15日の行事となっているのでわかりにくいが、本来は旧暦4月の中の酉(とり)の日が葵祭であった。



その葵祭が競馬より先に行われて、祭りののちに競馬会が行なわれ、これが終了すると葵祭に関する一連の行事がすべて終わったとして「らちがあいた」のである。



1年365日、ほとんどどこかで祭りが行われているといわれた京都。京都人は祭りや行事には慣れっこではあるが、その主催者は、それぞれに準備や用意で忙しい。



まして歴史ある伝統行事となれば、観光客や取材の数も他の地域とはケタが違う。祭礼行事が終わったときの「らちがあく」ときの解放感を想像すれば他人事ながらすがすがしい。京都ならではの「らちがあく」心地よさがこの言葉にはある。



実は八坂神社にも埒(らち)があったという。八坂神社の正門は石段下を上がった西楼門ではない。石鳥居のある南向きの南楼門である。



江戸時代初期には、その南楼門を入ると、現在の舞殿(ぶでん)とのちょうど中間あたりに中門(ちゅうもん)があったそうだ。その中門を囲んで、本殿の周囲に回廊が巡らされており、回廊内は閉ざされた禁苑となっていた。



参拝者は中門の「らち」の外から参拝する。現在の舞殿や本殿は「らち」の外から垣間見えるだけで、普段はいっこうに「らちはあかない」。



祇園祭の神幸祭と還幸祭でお神輿に乗って神様が出入りされるときにのみ「らちがあく」。この回廊や「らち」は江戸期の火事によって焼失。江戸時代には再建の計画があったというが、結局は復元されなかった。再建計画の資料が八坂神社には残っているという。



いずれにしても「らちがあく」は、神社の祭礼行事と深いつながりがあるというお話。意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.11…今京都。前回の語源は「ひもじい」(再掲)(←クリック)。 ※本文と写真は関係ないので、あしからず。


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