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ひざぼん

投稿日時 2009-9-1 0:00:00
執筆者 rrb
ざぼん
「ヒザボン擦りむいて痛い」 ひざ頭のこと。「膝坊主」を略した「膝坊」から。ヒザボシとも言う。「膝法師」に由来する。ひざ頭が法師の頭の形に似ていることによる。「ヒザボン談合」という諺がある。大変困っているときには、膝も相談相手になるという意味である。「膝とも談合」とも。誰にでも相談してみれば、それだけの効果があるというもの。談合を、昔はダンコウと発音した。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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月。今日から9月。暦の上では「秋」だ。「秋」という言葉は、実り豊かなイメージの奥に凋落(ちょうらく)の響きを宿す。「秋扇(しゅうせん)」といえば、夏には重宝された扇が、秋風とともに打ち捨てられて顧みられなくなる悲哀をいう。まだまだ残暑の厳しい日もあるだろうが、秋を出迎えに、どこかへ行ってみたいものだ。

祖神祠(やくそじんし) (旧フォトヴィレッジ 2007年2月23日掲載)
薬問屋が並ぶ二条通の一角にある祠(ほこら)「薬祖神祠」。ここには、なんと日本・中国・ギリシャの神が合祀(ごうし)されているという。大巳貴命(おおなむちのみこと)(大国主命(おおくにぬしのみこと))と小彦名命(すくなひこなのみこと)、中国の医薬の神様「神農」、西洋医学の父とされるギリシャの哲学者「ヒポクラテス」だという。京都では「一条戻り橋、二条きぐすり屋…」といわれるように、二条通は1600年ごろから薬の町として栄えた。



11月に行われる「薬祖神祭」は江戸後期に「薬師講」として始まったとされ、二条の薬業仲間が集まり酒を酌み交わした時に神農像などを祭ったという。この祭りは「二条の神農さん」と呼ばれ、京都の年中行事の一つに数えられるほど盛大だった。1864年の蛤(はまぐり)御門の変で、二条の薬業街が焼失した時でさえも「神農尊の御神事滞りなく相済まし申候」との記録があり、祭りは例年通り行われたという。明治維新の後、一時中断されていたが、1880年に復興した。当時、欧州からも薬を輸入するようになっていたため、西洋の神様も必要とヒポクラテスを祖神に加え、1906年に現在の地に祠を移した。現在保管している神農像は、宇治市の黄檗山万福寺の隠元が持ち込んだものとされ、1858年のコレラ流行の時も、悪疫をはらったと伝わる。



東洞院通から衣棚通まで夜店が並び、ひしめき合うほどの人出だった「神農さん」も、今では夜店がなくなるくらいに衰退したとのこと。衰退した背景は50軒以上あった薬問屋も20年ほど前から大手企業に吸収合併され、10軒ほどに減ったというもの。祠の向かって左隣にあるのは江戸時代からの薬問屋で今でも現役。10軒ほどのうちの1軒なんだけれど、その歴史に驚く。「薬は健康管理にはなくてはならないもの。市民にもご利益は大きい」ので薬祖神祠を核にした町の活性化を期待しているというが、さて結果はいかに…。
さて、薬祖神祭は、明治天皇の誕生日にちなんで11月2、3日だったが、現在は第1金曜に改められた。神主を招いて神事を行い、神楽を奉納。参拝者には薬効のある笹の葉を配布。笹にはお守り袋と陶製のトラが取り付けられてある、とのことだ…今京都。


 




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