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ほんま

投稿日時 2009-8-6 0:00:00
執筆者 rrb
んま
本当。真実。「うそとちがうか、ホンマかいな」 本真(ほんま)から。意味を強めるために「本」に「真」を加えて本真とし、音訓順の重箱読みにした。つまりジュウを音で読み、ハコ(バコ)を訓で読むように、本真の本を音で、真を訓で読んだもの。副詞はホンマニで、江戸時代から使用した。「ホンマニどないしてくれるのや」 ホンマニの前後にモーを付けて「モーホンマニ」「ホンマニモー」と強調する。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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隆寺 (旧フォトヴィレッジ 2007年9月15日掲載)
京都市上京区の西陣の一角にある本隆寺。かつて大火に見舞われるも、本堂や祖師堂は難を免れたことから「不焼寺」の異名を持つ。創建時のままの姿を残す本堂の東には「夜泣き止めの松」が根を張っている。この松にも逸話がある。



本隆寺第五世・日諦(にったい)上人がまだ修行中の身だった1532年元日。本堂で経を黙読していた日諦は、乳児を抱いて涙を流す母親を境内に見つけた。その後、何度も姿を現した母親はある日、乳児の養育を日諦に依頼してその場を去ってしまった。日諦は預かった子どもを仏門に入れて弟子として育てた。だが、母親がいないためか子どもの夜泣きがひどかった。困った日諦は、経を唱えながら本堂脇の松の木を回ると、子どもは不思議と泣きやんで、すやすや眠りについたという。





この話を聞いた夜泣きに悩む母親たちは、その力にあやかろうと松の葉や皮を持ち帰っては子どもの枕元に敷いた。すると、ぴたりと夜泣きが治った。たちまち町の評判になり、「夜泣き止めの松」と呼ばれるようになったという。奇妙ないきさつで日諦が預かった子どもは後に七世・日脩(にっしゅう)上人となって寺の繁栄に尽くしたとされる。だが、松の言い伝えと日脩を結びつける資料はないという。



寺の歴史を記した「法華宗真門年表」には、日脩は1524年に生まれ、34年後に第七世になったと記されている。ただ、生い立ちや母親などの記録はない。かつて多くの母親が貧しく子に十分な乳を与えてやれなかった。そんな時代背景を反映しているのかもしれない。



現在、寺に残る松は高さ約6m、幹回り約70cmとそれほど大きくはなく、三代目とも言われている。多くの人が葉や樹皮を持ち帰ったため、一・二代目は枯死してしまったのかもしれない。夜泣きが治るのかその効き目は不明だ。ただ、約15年前、本多執事長の所に「子どもの夜泣きが治った」とわざわざ礼に来た若い女性が一人だけいたという。





本隆寺の千代野井にも伝説がある。同寺によると1730(享保15)年の大火の時。異様な容姿の女性がどこからか現れ、本堂前の千代野井の水で防火したため同寺は災いを免れたという。数々の不思議伝説があるここは京都市上京区の西陣の一角にある本隆寺…今京都。


 




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