フォトヴィレッジ

はばかりさん

投稿日時 2009-8-1 0:00:00
執筆者 rrb
ばかりさん
ご苦労さん。ありがとう。「おおきにハバカリサン」 恐れ慎むという意の「憚る」から。気兼ねする意味が恐縮するということになり、ご苦労さんの意味になった。人に少し世話になったときに使う。ハバカリだけでも江戸時代には、恐縮、ご苦労の意味があったが、ハバカリサンということが多い。便所を指すときにも使う。「ちょっと待っておくれやす。ハバカリ(サン)に行ってきますよって」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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月、今日から8月。昨日、四国地方が梅雨明けをしたとみられると気象庁が発表した。平年より14日遅く、昨年より25日遅いという。近畿地方の梅雨明けはいつになるのだろう?

川の怪/得体の知れん恐ろしいもん (旧フォトヴィレッジ 2007年9月11日掲載)



およそ大河という川には何やら怪しい物語がいくつかはあるものである。観光客でにぎわう嵐山の桂川にも怪しげな物語がある。「桂川の怪」とでもいうべきか…。



そのお話とは、
雨降りの前後は、桂川のそばへ寄ったらあかん。もやがかかり、「得体の知れん恐ろしいもん」が出る
というものである。戦時中、祖父母からこんな話を寝る前に聞いたという方もおり、今も信じているという。また「得体の知れん恐ろしいもん」を渡月橋付近の中州で目撃した人もいるという。橋のたもとは昔は子どもたちの水遊びの場所だった。だが、薄暗い雲が空に広がり始めると不安になり、みんなで近くの店や寺へ一目散に逃げたという。「得体の知れん恐ろしいもん」にさらわれるんじゃないかとそういう行動にでたのだろう。「得体の知れん恐ろしいもん」とは何だろう。俄然、興味津々。約200年前の江戸後期、「洪水時の桂川に正体不明のものが現れる」と、馬にかまれても田に落ちても書物を離さないほどの読書家で知られる学者の橋本経亮(1755〜1805)が書き残していると教えて貰った。



橋本氏が1801年に著した随筆集「橘窓自語」3巻の記述を要約すれば、
波打つような桂川の濁流とともに、何かが亀岡方面から梅津辺りまで下る。やがて水が引くと上流へ戻る。牛に似たような背中だけ見えるが、顔かたちは誰も確認できていない。
というもの。併せて橋本氏は、戦国時代の湖国(滋賀県)でも野洲川の洪水時に、牛のようなものが川からはい出て、黒い雲に包まれて空に上がったという珍事に触れ、両者は同類だろうと推測している。



「得体の知れん恐ろしいもん」とは、また、橋本氏の書いた牛のようなものは、「恐ろしい洪水の象徴」ではないかと想像が駆け巡る。以前の桂川は何度も荒れているというし、川沿いの住民はその度に避難もしているという。怪獣が下流から上流へ戻るイメージと、雨がやみ、水かさがあっという間に下がる光景がぴったり重なるような気がする。波打つ流れを表現するなら、カッパより牛の背中が当てはまるとも思える。桂川は水害や治水、利水の歴史を紡いできている。洪水の心配の減った川しか知らない世代がこの伝説を受け止めるのは難しいかも知れないね。でも、こういう伝説が忘れられるのは自然と人、人と人とのきずなが失われることと話し、川の楽しさや厳しさを学び合う機会を増やしたいと考えている地元住民も少なくないというからまだ安心。



今日も桂川で遊ぶ子どもや趣味に没頭する方、散歩する仲良しなどの光景が当たり前のように展開されている。この中にこの伝説を知っている方は何人いるのだろうと、優しい川の流れを見ながらふっと思った桂川…今京都。


 




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