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結跏趺坐

投稿日時 2008-1-29 0:06:18
執筆者 rrb
っかふざ…座禅を組むこと。
◇ちょっと予備知識 → 仏教の坐法のひとつ。左右それぞれの足の甲を反対の足の股の付け根に置いて、
                足の裏を上に向けて組む。「跏」は足の裏、「趺」は足の甲のこと。

原道祖神社
以前にも掲載した街の片隅にたたずむ小さな松原道祖神社(←クリック)。鳥居をくぐると清掃が行き届いている。地域の人がこまめに訪れ、神社を守っていることが伝わる。



表に掛かる木板には「平安京以前より当地にて道の神・塞(さい)の神(厄災を塞(ふさ)ぐ)として崇(あが)め祀(まつ)られて来ました」と書かれている。歴史の古さを裏付ける話が、鎌倉時代の説話集「宇治拾遺物語」に残っていた。
そのお話とは…。



道明阿闍梨というお経を読むのが上手な僧がいた。
女性が好きで、和泉式部といい仲になり、毎晩のように通った。
ある日、式部の家で夜に目が覚め、読経をしていると人の近づく気配がした。
「誰だ?」と尋ねると、「五条西洞院に住むおきなです。今夜は結構なお経を聞けありがとうございます」と言う。
「なぜ?」と道明が聞くと、おきなは「普段は身を清めて読経されるので梵天や帝釈天など高貴な方が聴聞されるが、今夜は行水もせず読経されたのでわたしでも聞けました」と答えた。
というもの。



僧侶への戒めを説いた話だが、ここに登場するおきなが五条の道祖神だといわれている。神社がある松原通は平安時代には「五条大路」とされ、清水寺への参道としてにぎわった(「五条通と松原通と五条天神宮とvol.1 vol.2 vol.3 vol.4(←クリック) 参照)というから、道や旅の神とされる道祖神が祀られていても不思議はない。



神社は現在、地元の藪下町と富永町の有志で宗教法人をつくり管理し、住民が交代で清掃。春と秋の年2回の祭りには近くの五条天神宮から神主を呼び祝詞をあげているという。



神社は戦前は民家の敷地内にあり、1945(昭和20)年の終戦直後に寄贈を受けたという。神社についての記述は平安時代の説話集「今昔物語」にも残っている。
大きい神社ではないが、毎日お参りにくる人もいる。これからも地域で守っていって欲しいものだ…今京都。


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