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なりくそわるい

投稿日時 2009-6-9 0:00:00
執筆者 rrb
りくそわるい
体裁が悪い。「歩きながらパン食べてナリクソワルイ」 ナリは体裁。クソは罵りの意。ナリガワルイとも。「そんなナリガワルイことせんといて」 若者は「カッコウワルイ」という。「袋ナリ(袋のまま)持って行き」「皮ナリ(皮ごと)食べてもええ」のナリは、その状態のままのこと。「すぐに」の意味もある。「帰ってくるナリ飛び出していった」 ナルハナシのナルは「成る」で、うまくまとまる話。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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京・右京 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月1日掲載)
京都の地図を見れば右に左京区、左に右京区。京都で暮らし始めたときにややこしかったのがこの右京区・左京区。地図の感覚で行くと逆。右京・左京配置の原則は、平安京造営の時点にさかのぼる。平安京は、中国の長安(現在の西安市)をお手本にして造られた。朱雀門から羅城門まで南北に通じる朱雀大路(現・千本通り)は道幅が約85メートル。そのメインストリートを中心に、大きく右京・左京に二分されるのだが、その右左は「天皇から見て」が基本となる。



古く中国や朝鮮では「天子は南面(なんめん)す」。すなわち国の君主は南に向って政治を執るとされていた。それをお手本にした平安京であるから、天皇が大内裏から南に向って、右(西)が右京、左(東)が左京となる。地図は北を向ってつくられているから全く逆になるというわけ。平安京造営当時の右京はお手本となった長安にちなんで「長安城」と呼ばれ、対して左京は「洛陽城」と呼ばれていた。人間の心理や都市構造、そして政庁の関係で、人々は太陽の昇る方向、東へ東へと住み移るようになり、左京が発展していき、右京がさびれてしまった時期がある。そのため、左京の代名詞であった洛陽が、京都の代名詞として有名になった。京都に来ることを上洛、都の内側を洛中、外を洛外などというのはそのためだという。



平安京の右京・左京は、実質的には左京が中心となっていった。そこで平安京の大内裏を東に移したのが、今の京都御所の位置である。御所のなかでも、宮中のさまざまな儀式をとり行ってきたのが紫宸殿(ししんでん)。「天子は南面す」の原則通り、紫宸殿も南に向って建てられており、紫宸殿の広大な前庭は「南庭」と呼ばれている。ここにおいても「右左問題」が発生する。「左近の桜」と「右近の橘」である。紫宸殿の前の南庭に植えられている桜と橘の木、これらは天皇が紫宸殿から眺めたとき、左手に左近の桜、右手に右近の橘となる。紫宸殿に向って見るのとは逆になる。この配置は結構寺社仏閣は取り入れている。



わかってしまえば簡単なお話なんだけれど、地図との感覚の違いがとても邪魔をしてしまう。ちなみにパリのセーヌ川は川の上流を背に下流に向って立ったとき、右手が右岸、左手が左岸としているということだ…今京都。 ※写真は京都嵯峨化野念仏寺で本文とは関係ないのであしからず。


 




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