|  
                    
            朝蝿暮蚊
            投稿日時 2008-1-24 7:49:21 
            執筆者 rrb
           |  
        
        
          ちょうようぼぶん…度量の狭い人や小人物がはびこること。 ◇ちょっと予備知識 → 「朝蝿」は朝に蝿が集まること。「暮蚊」は夕方に蚊が集まること。                 「蝿」「蚊」は共に小人物のたとえで、そのような者が集うことから。
  金札宮(きんさつぐう) vol.2(最終回)  vol.1はここ(←クリック) 金札宮のかつての社殿は、現在の伏見板橋小のあたりにあったとされる。伏見城築城に際して北東の鬼門の方向に移されるなど幾多の変遷を経て現在に至っている。
 
  
  白菊の翁の物語を伝える白菊井は以前、境内にあり1965(昭和40)年ごろまでは水が出て手水としても使われていた。しかし、いまでは井戸に組まれていた石だけが残されている。
 
  
  枯れてしまった白菊井を復活させようと、伏見板橋小の校内に1990(平成2)年に井戸が掘られ、「白菊の井戸」と名付けられ、子どもや地域の人たちに親しまれているという。
 
  
  白菊の翁として現れた太玉命の後の物語が、世阿弥作の謡曲「金札」に伝えられている。桓武天皇の命で伏見に神社を造営中、勅使が伏見に出向いた際、天から金の札が降ってきた。札には「永く伏見(伏して見る日本)に住み、国土を守らん」と記されていて、「われは天太玉命である」との声が聞こえたという。
 
  
  40年ほど前に一度、金札宮に舞台が作られて謡曲が演じられた。金札宮は、伏見で最も古い神社の一つで、白菊の翁の物語の750年の創建とも、橘良基が貞観年間(859〜876)に勧請したとも伝えられている。
 
  
  室町時代の「伏見九郷之図」には本殿と諸建物が描かれ、応仁の乱までは御香宮に匹敵する規模があったとされる。1604(慶長9)年に喜運寺が創建された際、鎮守社として現在の地に移転、明治の神仏分離で独立して現在に至っているという金札宮のお話…今京都。
 
  コメント投稿に対するお願い 日頃よりrrbのブログ−フォトヴレッジ−をご愛顧いただきありがとうございます。 コメント投稿は、機械的なコメント投稿の攻撃に対処するために、ユーザー登録されている方に限定しています。 ご面倒ですがユーザー登録をしていただきますようお願いいたします。 ログイン後に日々の記事のタイトル(四字熟語)をクリックしていただき、下の方にスクロールするとコメント投稿画面がでてきます。「投稿する」をクリックし、下の方にスクロールするとコメント入力枠が出てきます。コメント入力後にその下にある「送信」をクリックしてください。これで投稿完了です。 コメント投稿後は「Logout」をクリックしてログアウトしてください。 ご面倒ですが、よろしくお願いします。
 
    
         |   
       |