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無頼漢

投稿日時 2009-4-21 0:00:00
執筆者 rrb
らいかん…ならず者。ごろつき。
◇ちょっと予備知識 → 「無頼」は一定の職業を持たず、無法なことをすること、またその人。「漢」は男性。
                類義語に不逞之輩(ふていのやから)・無法者(むほうもの)がある。

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 (旧フォトヴィレッジ 2007年4月26日掲載)



京都の町家は、中二階建ての町家が多く、一階の屋根と大屋根の間の玄関の上あたり、道に面してなにやら厳めしい瓦の置物が設置されている。



これは鐘馗(しょうき)と呼ばれる魔除けの置物。鐘馗は、中国の唐の都長安(現在の西安)の物語に起因する魔除けで、玄宗皇帝の夢の中で、楊貴妃の宝物を盗もうとした小鬼を鐘馗が追い払い退治した。その夢から覚めて後、玄宗皇帝の病が癒えたという。この小鬼は、邪気とみられ、それ以後、邪気を払う魔除けとして信仰された。日本には、いつの時代に入ってきたのか定かでないが、道教や儒教の教えが浸透する江戸時代に鐘馗信仰がみられる。という。



京都でのいい伝えは、文化2(1805)年に大きな鬼瓦を据えた家が建った。すると、向かいの家の娘が原因不明の高熱を出して寝込んでしまった。どのような手当をしても手当のかいない。困り果て神仏への頼みではないが陰陽師にみてもらったところ、原因は向かいの鬼瓦にあるらしいということになった。鬼瓦によって跳ね返された邪気がこちらの家の中に入ってきているのが原因だということ。



さっそく、京都深草の伏見人形師に頼んで邪気払いで効果のある鐘馗を焼いてもらって、睨み返しとして安置した。そうしたら、たちどころに病気が平癒したというもの。この物語は、複数言い伝えられており、主人公が医者の娘であったり、女房であったりするが、大筋はこのようなものである。



京都市のある区には約1000体の鐘馗が残っているという。その分布にも特徴があり、お寺や神社など鬼瓦を設置してある場所の向かい側の家や三叉路やT字路のような行き止まりに多くある。また、一軒が設置すれば負けじと周辺の家も祭るらしく集中して見つけることができる。


(ちょっと珍しい位置にある)

現在では鐘馗信仰は廃れる一方であるが、神がその地位を追われ妖怪としてその名を留める過程がここにも現存しているといえる。民俗学研究者にとっては古い風習がなくなってゆく京都は恰好の研究テーマかもしれない。京都へお越しの際は是非軒を見上げて探してみる価値はあるかも、という京の街のお話…今京都。


 




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