フォトヴィレッジ

鐚一文

投稿日時 2009-4-11 0:00:00
執筆者 rrb
たいちもん…ほんの少しのお金。また、わずかなお金のたとえ。
◇ちょっと予備知識 → 「鐚」とは鐚銭の略で、質の悪い貨幣のこと。「鐚一文もやらない」などと否定的に使う。
                類義語に端金(はしたがね)・目腐金(めくされがね)がある。
                対義語は大枚(たいまい)・大金(たいきん)・千金(せんきん)。

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居、屋根看板 (旧フォトヴィレッジ 2006年10月20日、2006年12月12日掲載)



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京都に限ったことではないと思うけれど、暗いところ、人が少ないところ、路地裏などでよく見かける小さな鳥居。そして、あまり目線の高いところにはなくて、うつむきかげんに下を向いたときに目に入るような高さ、だいたい地上20cmから30cmぐらいのところにある。京都では特に祇園や木屋町という飲み屋街に多く見られる。小さいものだけれど効果覿面。そう、殿方の立ち小便防止の標識みたいなものだ。元々は不浄除けの風習であったということだけれど、いつの間にか、立ち小便防止の標識となってしまった。まぁ立ち小便も不浄だから理にかなっているといえばかなっている。



商家にあって看板は、暖簾とならんで家の顔そのもの。店の看板と暖簾は、非常に大切にされたようで、今でも「店の看板に傷がついた」あるいは「暖簾に傷をつけた」などという言葉がまかり通るところを見ると、商家のシンボルであることは、今も昔も変わらないということだ。また、商品よりも看板に凝ったほど、派手な看板合戦をしたこともあるようで、所司代から派手な看板を禁止する御触れが出されたこともあるとか。ちょっと粋な話かも知れない。



総けやき看板、破風造り、字は金箔押し、七宝の釘隠し、下地は総漆螺鈿蒔絵なども使用されたらしく、江戸時代の日本は、封建時代であるのにもかかわらず、商家台頭の資本主義そのものであった。明治維新にドイツ憲法を取り入れ、西洋化を図ったが、経済そのものは何も混乱しなかったのがその証拠であるかな。



今のような、目立てばいいという周囲を考えない看板とは一味違う。最近の看板は、ピンクの電飾など景観になにも配慮していないものが多い。このような屋根付き看板の他に軒からぶらさげたものや、商品のビッグサイズの模型を飾ったものなど、いろいろ見て歩くと楽しめるものが今でもたくさんある、という京の街のお話…今京都。 ※3枚め以降の写真はEPSON R-D1sで撮った京都東山花灯路2009の光景で本文とは関係ないのであしからず。


 




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