フォトヴィレッジ

破天荒

投稿日時 2009-4-9 0:00:00
執筆者 rrb
てんこう…これまでにだれも成し得なかったことを成し遂げること。また、型破りであること。
◇ちょっと予備知識 → 「天荒」は天地が開ける前の、混沌とした状態。
                類義語に前人未到(ぜんじんみとう)前代未聞(ぜんだいみもん)・未曾有(みぞう)がある。

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まき (旧フォトヴィレッジ 2006年11月18日掲載)



京都の街では玄関に吊るされたちまきをよく見かける。ちまきは京都の祇園祭りとともにあるもので、厄災をはらう意味がある。祇園祭りは、祇園の八坂神社のお祭りで、御霊会(ごりょうえ)である。御霊会というのは、厄災をもたらす霊魂を鎮めるための祭礼。北野天満宮が菅原道真を祀り、彼の御霊を鎮めることを目的としたように、京都には、そのものずばり上御霊神社・下御霊神社というものさえある。神社には、天皇一族をお祀りした神宮や神話の神々をお祀りした社が多くみられるが、このように別系統として霊を鎮めるための神社も多くある。



八坂神社の祭神は、牛頭天王といわれるもので、インドの仏教精舎であった祇園精舎の守護神であり、日本に来るとスサノオノミコトにすり替わる。スサノオノミコトは、神話にもあるように非常にやんちゃな神で、アマテラスの弟とされているが、たいてい神話の原型は、征服民族の神が被征服民族の神を融合するさいに、兄弟姉妹にしたり、守護神にしたりするケースが多い。また、征服しないまでも新しい神が出現した場合には、古い神は新しい神に取り入れられ、家来のような存在となってくゆく。ちなみに日本では仏教が導入された以後もそんなに軋轢なく融合していたらしく、現在も神社の風習や儀式が失われていないのをみてもわかる。



ちまきは「けがれを払うおまじない」として玄関の軒下に吊された。茅で巻くのでちまきといったのだろう。現在も神社では茅の輪くぐりという夏の行事がある。暑さ除けでもあり、疫病の流行る夏の疫病除けでもある。
ちまきには 「蘇民将来子孫也」というお札が貼ってある。その意味は…「将来」なんて文字があるので将来のことかと思えば、まったく違う意味。



ちょっと残酷な話だけれど、ある時、スサノオノミコトが旅の途中に宿を頼んだ。すると蘇民将来と巨将来の兄弟のうち、貧乏な方の蘇民将来が引き受けてくれた。数年して同じ土地を通りかかったミコトは、蘇民将来の家族に茅の輪をつけさせて判別できるようにして、茅の輪をつけていない巨将来の家族を皆殺しにしてしまった。そして、「後の世で厄災にあったときには、茅の輪を腰につけて蘇民将来の子孫也と唱えるようにしなさい。そうすれば厄災を免れるだろう」と約束したということからきているということ。こうしてみると神社の茅の輪くぐりやちまきのお札も「生臭い」というか「残酷」というか、神聖なイメージとはほど遠いかもしれない、という京の街のお話…今京都。 ※2枚め以降の写真はEPSON R-D1sで撮った京都東山花灯路2009の光景で本文とは関係ないのであしからず。


 




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