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白日夢

投稿日時 2009-4-7 0:00:00
執筆者 rrb
くじつむ…真昼間に見る夢。そこから、非現実的な空想や幻想のこと。
◇ちょっと予備知識 → 「白日」は真昼、日中。
                類義語に白昼夢(はくちゅうむ)・夢想(むそう)がある。

候がようよう平年並みとなってきた。早いところでは、桜の花が風に舞っているところもある。この季節、入学式や始業式で街には新しい制服や鞄をもった新1年生を見かける。また、新しいスーツに身を包んだ社会人1年生も見かける。初々しい姿を見ると、こちらまで気持ちが洗われる。疲れた身体や気分を少し元気にしてくれる光景に感謝!

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土居  (旧フォトヴィレッジ 2006年10月19日掲載)
御土居(おどい)は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街を守る堤防として、1591(天正19)年に多くの経費と労力を費やして築いた土塁。台形の土塁と堀(堀の一部は川、池、沼を利用)からなり、その延長は22.5kmに及ぶ。



東は鴨川、北は鷹ヶ峯、西は紙屋川、南は九条あたりにそって築かれた。土塁の内側を洛中、外側を洛外と呼び、要所には七口(長坂口、鞍馬口、大原口、粟田口、伏見口、鳥羽口、丹波口)を設け、洛外との出入口とした。



江戸時代になると天下泰平の世が続き、外敵の脅威もなく御土居は次第に無用の存在となる。また市街地が洛外に広がるにつれ堤防の役割を果たしていたものなどを除いて次々と取り壊され、北辺を中心に僅かに名残をとどめるのみとなった。



1930(昭和5)年、市内に残る御土居のうち8箇所が、京都の沿革を知るうえに、また、広く我が国における都市の発達をたどる重要な遺構として「史跡」に指定され、1965(昭和40)年にさらに1箇所(北野天満宮境内)が追加され、現在9箇所が指定地となっている。これら指定地以外では、北区の大宮交通公園内や中京区の北野中学校内でも、部分的に御土居が残っている、という京の街のお話…今京都。 ※写真はEPSON R-D1sで撮った京都東山花灯路2009の光景で本文とは関係ないのであしからず。


 




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