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首実検

投稿日時 2009-2-12 0:00:00
執筆者 rrb
びじっけん…実際に会ってみて、本人かどうか確かめること。
◇ちょっと予備知識 → 昔、戦場で討ち取った敵の首が本物か否か、大将みずから検査したことから。
                「首実験」と書くのは誤り。


わばら、くわばら  (旧フォトヴィレッジ 2007年7月19日掲載)
何か恐ろしいことがあると「くわばら、くわばら」と唱える。特に昔は雷除けのおまじないであったという。なぜ「くわばら、くわばら」なんだろう。そもそも「くわばら」って何?という疑問を持つ。その由来にはさまざまな説があってハッキリしない。よく知られているのは京都ゆかりの説だということがわかった。



そもそも「くわばら、くわばら」は、「うるさい」と関係があるという。「うるさい」といえば菅原道真のタタリ伝説。この「くわばら」もタタリ伝説からきているというから驚きである。
ここで当時の出来事を列挙すると、

  901年 菅原道真が九州・大宰府に流される。
  903年 道真、大宰府で悲憤のうちに死去
  909年 道真左遷を謀った左大臣・藤原時平が39歳で急死する。
  915年 京の都に疱瘡(ほうそう)の病が大流行
  916年 都の水が涸渇し、干ばつに苦しむ
  922年 京に咳病が流行
  930年 清清涼殿落雷事件。
       大納言藤原清貫と右中弁平希世が震死、醍醐天皇はショックで病気となり、秋に崩御。
  938年 天慶の大地震。宮中の内膳司崩れ、堂塔・仏像も多く倒壊。
  959年 藤原師輔が北野の地に社殿を造営。

となる。



これだけの事件が続いているので、この時代を生きた人々の憂鬱な気持ちと社会不安が想像できる。実際に道真公の怨霊を鎮める北野天満宮が造営されるまで、50年近くの歳月が流れているのである。特に、930年の清涼殿落雷事件により、人々の不安は一気につのり、道真の怨霊が天神・雷神となって現れたに違いないと語られるようになった。これを受けて、道真の領地である「桑原(くわばら)」の地だけは落雷も避けられると信じられるようになり、いつの頃からか雷除けに「くわばら、くわばら」と唱えだしたという。



「御殿もゆらぐ雷声、わっとひれふし女房たち、世直し、世直し、桑原と、生きたる心地はなかりけり」とは近松門左衛門の「日本振袖始」の一節。平安時代の清涼殿落雷事件は、700年後の江戸時代にまで、語り継がれていた。それにしても雷も恐いが、天災や社会不安につきものの流言(りゅうげん)も恐い。今では、こちらのほうがある意味で「くわばら、くわばら」かも知れない。意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.4(改訂・再掲)…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
★前回の京が語源「うるさい」はここ(←クリック)


 




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