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羞月閉花

投稿日時 2008-10-25 0:00:00
執筆者 rrb
ゅうげつへいか…女性の容貌が非常に美しいことを、たたえていうことば。また美しい女性のこと。
◇ちょっと予備知識 → 「街談」「巷説」は共に世間のいい加減な噂。ほぼ同じ意味の2語を重ねて強調している。
                類義語に羞花閉月(しゅうかへいげつ)・沈魚落雁(ちんぎょらくがん)がある。

軍塚



京都盆地を一望する東山の頂にある将軍塚。京都が三方を山に囲まれていることを実感できる風景が広がるが、国の一大事の兆しがあれば「鳴動する」と伝えられてきた場所でもある。



由来は平安京の始まりまでさかのぼる。



桓武天皇は平城京から長岡に都を移したが、不慮の事故が続いた。ある日、側近の和気清麻呂(わけのきよまろ)が「狩り」をしようと天皇をこの地に誘い「この場所こそ都にふさわしい」と進言した。天皇は清麻呂の言葉を聞き入れ、平安遷都を決意したと伝えられる。



その際、長く都が守られるよう祈りを込めて、北、東、西の三方の山に約20m四方の塚をつくったとされる。高さ2.5mほどの土製の部将の像に甲胄(かっちゅう)を着せ、弓矢を持たせて埋めた。



現存するのは現在の将軍塚だけで、今は青蓮院の飛び地境内。造営の様子は平安時代に成立した「鳥羽僧正絵巻」に描かれ、絵巻には像を埋めた図があり、非常に由緒ある記述であり、場所でもあるという。



都の安泰を祈ってつくられた将軍塚は、異変が起こりそうになれば鳴動したと、源氏と平家の興亡を描いた軍記「源平盛衰記」に記録が残る。



1179(治承三)年7月のこと。まさに源頼朝が平家に反旗を翻し、挙兵する前年。青空がたちまち曇り、人の顔さえ見えないほど暗くなり将軍塚が三度、鳴動し、空に兵や馬の駆ける音が聞こえたという。



さらに室町幕府成立前後の軍記「太平記」でも鳴動の記述がある。いずれも京の都を揺るがす一大事だった。



以降、現在まで鳴動した言い伝えはない。くしくも青蓮院の本尊は、天変地異を鎮めるとされる「熾盛光(しじょうこう)如来」、その仏力のためかなどと想像してしまう。



桓武天皇や和気清麻呂が新たな都づくりに思いをはせた地。この場所に立っていると、都を移す場所にしようと考えた思いが伝わってきそうだ…今京都。


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