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謹厳実直

投稿日時 2008-10-24 0:00:00
執筆者 rrb
んげんじっちょく…慎み深く、正直でまじめなこと。
◇ちょっと予備知識 → 「謹厳」は慎み深く、厳かなこと。「実直」は正直で、まじめなこと。
                類義語に謹厳温厚(きんげんおんこう)・謹厳重厚(きんげんじゅうこう)・
                謹言慎行(きんげんしんこう)がある。

よけの松
京都市東山区の本町通沿いにある寶樹寺(ほうじゅじ)の門前に、「子どもそだて 常盤薬師」と彫られた石碑が建つ。



寺の秘仏である薬師如来像と子どもにまつわる物語の由来は、源平が覇権を争っていた平安時代末期にさかのぼる。



平治の乱(1159年)で源義朝を破った平清盛は、源氏の報復を恐れて、義朝の子を捜し出して殺すよう家来に命じた。義朝に愛されていた女性常盤は、牛若ら三人の子を連れて大和(奈良県)に逃れていた。常盤の母は京で平氏に捕らえられ、常盤や三人の子の所在を詰い問められる。



そのことを知った常盤は「自首して母を助けるべきか、逃げのびてわが子を救うべきか」と悩んだ末に自首を決意し、子を連れて大和から京に戻った。



雪が降り続く翌年2月、常盤たちは現在の本町通にかかる「一ノ橋」にさしかかる。雪を避けるため、母子4人が道沿いに立つ松の陰に身をひそめた。しばらく休んで歩き出そうとすると、守り本尊にしていた薬師如来像が突然、石のように硬くなり、まばゆい光を放って「私をこの地にとどめなさい。3人の子どものことは心配しなくていい」と告げた。



平氏のもとに進み出た常盤と子の命は救われた。後に牛若が成人して義経となり、平家を滅亡に追い込んだのも薬師如来の加護だと、寺の縁起は記す。



「雪よけの松」は応仁の乱で焼けたとされるが、明治末期、京阪電鉄の建設工事に伴い境内を掘削した時、地中から松の根が見つかったといい、物証はないが『雪よけの松』が見つかった、とずいぶん話題になったそうだ。



大正初期に門前の石碑が建立され、末期の本堂改築時には松の根が須弥壇(しゅみだん)の材料に使われたという。石碑の言葉そのままに、先代の住職は子どもが元気に育つことを願った。近所の子に紙芝居を読むのが得意で、十数話分が倉庫に眠るという。



今、地元の東山区は高齢化が進み、子どもの数は激減しているらしい。寺には子宝を授かりたいと参拝に訪れる若い女性の姿が時折、見られるという。『雪よけの松』をめぐる物語を紙芝居に仕立て、子どもたちに伝えていく日が来ることを願いたい…今京都。

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