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千里同風

投稿日時 2008-10-9 0:00:00
執筆者 rrb
んりどうふう…世の中が平和で穏やかなこと。また、ある風俗が国の隅々まで行き渡っているさま。
◇ちょっと予備知識 → 千里も離れたところまで同じ風が吹くということから。
                類義語に万里同風(ばんりどうふう)・同文同軌(どうぶんどうき)がある。

子(おなご)はんは宝
京都では他の地域と違い、今でいうキャリアウーマンを昔から認めていた。商家にしても、お茶屋にしても、女将さんがきっちりと取り仕切っているからこそ、やっていける。外で仕事をする女性、店や家を守る女性、そのいずれの女性も京都では認めてきた。そして女性たちも、それに応えるかのように自分の役割をきちんと果たしてきた。



ちょっと極端な言い方かも知れないが、京都の歴史は女性がつくり、動かしてきたといっても過言ではないように思う。それぞれの家のしきたりや行事も、人様とのおつきあいも、料理も、こと細かに女性が守ってきたからこそ、今日まで伝承されてきたのだ。もし男性がこういったことを取り仕切っていたら、おそらく、こんなにきちんと伝えられなかったのではないか…といわれている。



祇園祭でも、鉾を動かすのは確かに男性の仕事だが、陰で女性はお客を向かえ、その家を守り、しきるという重要な仕事を担っており、それがあったればこそ、祭りが今日まで続いてきたのだといわれる。鉾がけがれるから鉾の上に女性を上げてはいけないなどといわれるが、とんでもない。大事な女性を高い鉾に上げては危険だからというのが真意であり、これが後世あやまって伝えられたのだというから驚きだ。



結婚式の仲人への挨拶は母親がいくとか、結婚祝などは女性が持参するほうがよいとか、また商売では開店時の一番最初のお客には女性に来てもらわないと店が繁盛しないなどといわれているが、これらは全て女性が動くということが「験がいい」と京都では考えられてきたからであるという。「京都らしい人」とか「京都の人は風情があってよろしいですね」などは、全て女性に対していわれることば。京都の男性の方は「もうちょっとしゃきっとせんと」と思われているかもしれない。



ある著名な学者は、日本は決して男尊女卑の国ではなかったといっている。家ひとつをとっても、母屋はあるが父屋などはないし、いろりがあった昔には「かか座」という主婦が座る場所が決まっており、その場所には他の誰も座らないものだったという。また、ご飯を分け与えるのは父親ではなく母親であり、その権限を持っていたのはスゴイことだと思う。京都が1200年の間、「京都」であり続けたのも、やはり食事ひとつもおろそかにせず毎日つくり続けてきた京の女子(おなご)はんがいてこそであるという京都の文化のお話…今京都。 ※決して殿方に喧嘩を売っているわけではないのであしからず。


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