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起死回生

投稿日時 2007-12-30 0:11:51
執筆者 rrb
しかいせい…絶望的な状態が奇跡的に持ち直すこと。悪い状態が劇的によくなること。
◇ちょっと予備知識 → 瀕死の病人をよみがえらせることから。「回生起死」ともいう。
                類義語に起死回骸(きしかいがい)・起死再生(きしさいせい)がある。

の街(60) 紫 vol.1
さて、今回は何のお話にしようか…と思案。お手元に京都の地図があれば見て欲しい。できれば町名が載っている地図が嬉しい。地図で京都市北区を見ていただくと「紫」という字が多いことに気づいていただけると思う。



データによると紫野、紫竹、紫明、紫式部。紫野○○町と「紫野」が頭につく町名が47町。紫竹○○町と「紫竹」がつく町名が39町。合計86町が「紫」の字ではじまる。平安京朱雀大路の基点説も伝わる船岡山の頂上が眺めれば、そこは一面「紫」エリアということになる。



加えて小学校は紫野校、紫竹校、紫明校。大徳寺は「紫野寺」と称され、氏神である今宮神社は「紫野社」と呼ばれてきた。「紫野寺」と「紫野社」にはさまれて、現在あるのが「紫野高校」。



今は姿をとどめないが、離宮紫野院、紫野斎院もこの地にあった。そういえば紫式部のお墓も、なぜだか小野篁のお墓と並んでビルに囲まれてひっそりとある。



何故「紫」づくしなのか、気になる。



これら「紫」のなかでも最も古いのは「紫野」である。795年といえば平安京造営の翌年、桓武天皇が紫野で狩りをされたという記録が「類聚国史」にある。



紫野は平安京大内裏の真北に広がる朝廷の狩猟地、また朝廷で用いられる飲料水が北山を水源として、この原野を通過する清浄地とされていた。かつて染料とされた「紫草(むらさきそう)が生えていたから紫野」といわれたりもするが、この地の土壌は紫草におおわれるほどの自生には適さないという。



となれば残る根拠は紫が平安時代にもっとも好まれた高貴の色だったということか…。
宮中で天子が南面する紫宸殿(ししんでん)が儀式の「紫」なら、紫野は宮中の北で天子が遊ぶ禁野(きんや)の「紫」といえるかもしれない…今京都。(続く。本文と写真は関係ないので、あしからず。)

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