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一部始終
投稿日時 2008-6-21 0:06:24
執筆者 rrb
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いちぶしじゅう…物事の始めから終わりまで。細々としたいきさつの全て。事のなりゆき。 ◇ちょっと予備知識 → もとは、一部(一冊)の書物の始めから終わりまでのことをさした。 類義語に一伍一什(いちごいちじゅう)がある。
ひょうたんからこま vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック) 実際、ひょうたんに農作物の種子をいれ、囲炉裏のある部屋の天井に吊るしておくことは、囲炉裏があった時代には当たり前のように見られた光景だという。
この方法で種を保存すれば、ひょうたんが黒くすすけて虫がつかず、ネズミにも食われない、中の種子はいい具合に乾燥する、といいことづくめの昔の人の知恵であった。
「ひょうたんから種子」転じての「ひょうたんからコメ」は、冗談が本当になる程度にはあり得たお話だったようだ。
そういえばお茶の世界で「茶人の正月」とされる11月の炉開きや口切茶事では、その年に穫れたひょうたん(ふくべ)に炭を入れて用いてきたという。 日本だけではない、アフリカでもひょうたんは水の器として重要な意味をもち、マラカス、マリンバなど楽器としても世界に広がる。
道具以上の信仰的なかかわりをもつ例は世界にたくさんあるという。日本にもそんな「ひょうたん文化」が伝わってきた結果かもしれない。以前掲載したすずめのお宿にもひょうたん(ふくべ)が登場する。
いっぽうコメもまた日本人にとっては農耕の基本をなすもの。その重要かつ身近なふたつのものが一本化してしまうという意味において、まったく意外なこと、ふつうならあり得ないことを「ひょうたんからコメ」といったのではないか。
コメより語呂のよいコマ(馬)に置き換えられるうちに、ひょうたん、ひさご(ひょうたんの古名)、ふくべなどの呼称も消えていったような気がする。
いずれにしても「ひょうたんからこま」は、意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.22…今京都。前回の語源は「几帳面」(←クリック)。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
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