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付和雷同

投稿日時 2008-6-6 0:07:22
執筆者 rrb
わらいどう…しっかりとした自分の主張を持たず、軽々しく他人の意見に同調すること。周囲の意見に流されやすいこと。
◇ちょっと予備知識 → 「雷同」は、雷が鳴ると物がそれに共鳴するように、やたらに他人に同調すること。
                「雷同付和」ともいう。
                類義語に阿付雷同(あふらいどう)・付和随行(ふわずいこう)・唯唯諾諾(いいだくだく)・
                吠影吠声(はいえいはいせい)がある。

湯物語(21)
京都市北区紫野にある銭湯「船岡温泉」が国の有形文化財に登録されている。「銭湯では三例目」ということだが、先の二例は大阪の銭湯だそうだ。



「船岡温泉」といえば、玄関に唐破風(からはふ)を備えた古風で格調高い銭湯として、西陣ではよく知られている。もともとは料理旅館「船岡楼」として、1923(大正12)年に建てられたのだそうだ。1947(昭和22)年に旅館を廃業したのち、鞍馬口通の銭湯として今日にいたっている。



この銭湯、脱衣場の格天井では、極彩色の浮き彫り鞍馬天狗が高い鼻をぶら下げ、牛若丸に剣術を教えている。それより何よりスゴイのは欄間の手の込んだ透かし彫りである。思わず見とれてぐるりを見渡すと透かし彫りにされたテーマはやすらい祭り、賀茂の競馬、葵祭など京の伝統祭事があれば、唐突に肉弾三勇士がいる、近江八景もあると圧倒される…らしい。



ところで、銭湯になぜ唐破風をつけるのか。
1873(明治6)年、祇園円山公園にお目見えした日本初のヘルスセンター「吉水温泉」も玄関は唐破風造であったという。この因果関係は京都だけのことではない。「坊ちゃん」で知られる松山の道後温泉は1894(明治27)年の木造三層楼建築。ここでも正面の瓦葺屋根が唐破風になっている。



銭湯研究家によると、現在は東京の銭湯にむしろ堂々たる唐破風が多く見られるそうだ。
銭湯の歴史は昨日の「町風呂と町湯」でも触れたが、その起源は仏教伝来までさかのぼる。



奈良の寺院には仏像をお湯で洗ったり、僧が入るための「温室」(写真は京都)があった。やがて庶民への「施浴(せよく)」を行う宗教的な大湯屋へ。これが世俗化して平安末期以降、湯屋が京の町に登場するようになるが、いっぽう13世紀以降の禅宗寺院では「浴堂(よくどう)」が伽藍配置の重要な一角を占めるようになった。



古くは奈良・東大寺の大湯屋にある風呂屋形(蒸し風呂)、京都では東福寺の浴室、西本願寺飛運閣の黄鶴台浴室など、いずれもそこには唐破風を見ることができる。
かつて入浴は宗教的行為であった。その初心を日本人はいまだ引きずっているのか、銭湯研究家の間では「銭湯の唐破風は、寺院浴堂のパロディだった」などといわれているそうである…今京都。


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