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三百代言

投稿日時 2008-4-2 0:09:39
執筆者 rrb
んびゃくだいげん…詭弁を弄して言いくるめること。またその人。いいかげんな弁護士をののしっていう語。
◇ちょっと予備知識 → 「三百」は三百文のことで、価値が低いたとえ。
                「代言」は代言人の略で、弁護士の古い呼び方。
                明治時代に資格を持たないまま弁護士のような仕事をした人をいう。

黒寺 vol.2(最終回)  vol.1はここ(←クリック)
諸説あるが、総費用は40万両(約300億円)、病死者や自害者は80人以上にのぼったという。



さらに、平田は幕府の検分が終わると、よほど無念を晴らしたかったのか、幕府のある江戸の方を向き、堤の上で切腹して果てたという。



遺骨は、当時「薩摩寺」と呼ばれていたこの大黒寺に運ばれ、本堂裏に墓が造られ、手厚く供養された。



それから約230年後の1987(昭和62)年、本堂の改修工事に伴って墓を移設するため、墓の真下を掘ったが、何も出ない。



石棺にたどり着いたのは地下数メートルで、しかも墓の位置から横にずれていたという。



このズレは工事の総奉行が腹を切ったとなると大変。幕府に見つからないように隠したのかもしれないと推察されている。



高さ2mの立派な墓の隣に、石棺のかけらを立てて並べている。鹿児島県人はもちろん「薩摩さま」と呼ぶ濃尾地方の人たちが多く訪れ、悲話の主人公に花をたむける。



大黒寺は、京阪・近鉄丹波橋駅から徒歩約5分。もとは円通山長福寺というが、江戸時代初め、薩摩藩・島津家の守り本尊である大黒天が同寺にあったことを縁に薩摩寺と呼ばれた。



西郷隆盛が住んでいた部屋が残り、明治維新の舞台にもなったという…今京都。

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