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前後不覚

投稿日時 2008-5-30 0:04:45
執筆者 rrb
んごふかく…何が起こったのか前後の判断がつかないほど、正体を失うこと。
◇ちょっと予備知識 → 物事が起こったのは後か前か、その判断もできなくなることから。
                「不覚」はい四季や感覚がないこと。
                類義語に人事不省(じんじふせい)がある。

宮詣り vol.1
祖母に抱かれた赤ちゃんを見守るようにして、父親や母親、祖父らと共にお宮詣りされている。



そんななんともほほえましい光景をテレビや雑誌で見かけることがあるが、ひと昔前の京都ではこんな光景を見ることができなかったという。



お宮詣りといえば、必ず赤ちゃんの母親がついていくものだと思われるが、京都では、一緒に行かないのが当たり前だった。



「出産した女性は身体がけがれているので鳥居をくぐってはいけない」と、まことしやかにいわれるが、実はそうではなく、出産間もない母親の身体をいたわり、「お宮詣りの時ぐらいは、おばあちゃんや親戚の人に任せて、ほんの少しの間でもゆっくり休みなさい」という気配りであり、思いやりである。



赤ちゃんをおばあちゃんに見ていただき、任せることで、おばあちゃんも孫を抱く喜びをしっかりと実感できるだろうし、母親もまたしばらくの間休むことができる。まさに一挙両得ということ。



こういう「しきたり」として女性を思いやり、いたわりがされている京都の文化にはただ頭が下がる思いである。



お宮詣りのときは、男の子には「大」の字を、女の子には「小」の字を額に頬紅でかく。「大」は大きく、「小」はかわいくという意味だけではなく、「大」は力強く、「小」はやさしく育って欲しいという意味もある。



なぜ「大」や「小」の字を書くのか、実はまだわかっていないという。京都の大文字送り火の大の字だとか、暦の大の月、小の月からきているのだとか、色々な説があるが、このような風習風俗の発生は、その根拠がよくわからないことが多い。



しかし、このような風習が京都を情報発信地として、少しずつその形を変えながら、伝達手段のとぼしかった時代に、人から人へと広まったのはスゴイことだという京都の文化のお話…今京都。(続く) ※写真は常照皇寺で本文とは関係ないのであしからず。

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