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不老不死

投稿日時 2008-5-28 0:13:50
執筆者 rrb
ろうふし…いちまでも年老いず、死にもしないこと。
◇ちょっと予備知識 → 類義語に不老長寿(ふろうちょうじゅ)・長生不老(ちょうせいふろう)がある。

照皇寺(じょうしょうこうじ) vol.1



常照皇寺は京の西北部、周山にある。2005年4月1日に北桑田郡京北町から京都市に編入合併され、京都市右京区京北となった。



新しく京都市に仲間入りした京北の常照皇寺を訪ねた。臨済宗天龍寺派の常照皇寺は、正しくは大雄名山万寿常照皇禅寺という。



常照皇寺は京北の桜の名所の一つ。国の天然記念物に指定された「九重桜」があり、毎年4月中旬過ぎに咲き始める。この桜を見るためだけに常照皇寺へ訪れる人も多い。桜は、1333(元弘3)年、光厳(こうごん)天皇がこの山里に入り、手植えしたのが最初と伝えられる。



総門から庫裡までは、なだらかな石段。庫裡へ入り上ると方丈から開山堂へと行け、右手は庭園の入り口となっている。



方丈の中央に座ると、目線の正面は美しい小庭だが、首を上げると鴨居の位置に仏像(釈迦如来)が祀られている。頭上から仏像に見つめられ、少々戸惑いを感じる。





鉤型になっている廊下をさらに進むと開山堂の怡雲庵(いうんあん)の中へ入れる。開山堂前に「九重桜」(前に植えられている)、方丈前に 「御車返しの桜」がある。



常照皇寺は、南北朝時代の北・貞治1年/南・正平17年(1362)に光厳天皇がこの地に草案を結ばれた。その後、菩提を弔うために、開山を天皇とし禅刹に改め常照万寿皇禅寺とされた。



御陵が寺に隣接してある。戦国期(安土桃山時代)の1579(天正7)年、明智光秀が周山城(現在は石垣が残るのみ)を築くための木材を集めで周辺の社寺を取り壊したことで、常照皇寺は衰退。その後も、太閤検地で寺領の没収や戦火で諸堂伽藍を焼失し荒廃。



江戸時代に入り、後水尾法皇の尽力、徳川秀忠の外護があり、末寺300寺に回復。だが、昭和の敗戦後に多くの寺田や寺資産を失くしたまま、今日に至っている。
この京北の常照皇寺を訪ねた理由は実は他にある。その理由とは…今京都。(続く)


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