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知らないのが平和な時代

投稿日時 2018-6-8 0:00:00
執筆者 rrb
最近はライカばかり使用していて、一眼レフを手にすることが少なくなった。それはスズメさんを撮っていないということでもある。もうスズメさんを撮らないのかな? けど写真の話になるとスズメさんの話をよくするよね。スズメさん撮影、今は休憩中というところか。

さて、話変わって、以前(5月4日)に「自撮者」のことを掲載した。それから、色々と当て字を考えていた。自撮(自殺)、他撮(他殺)、写撮(射殺)、射撮(射殺)、殺影(撮影)など「撮(さつ)」を「殺(さつ)」に当てはめると、結構、今の時代に当てはまるような気がする。インターネット・SNSの普及によって誰でも簡単にニュースを発信できる。スマホを持っている道行く人は全て記者であり、パパラッチであると言っても過言ではない時代だ。何気に投稿した動画を含む画像は、時に、物議を醸す。いわゆる炎上というものだ。炎上で済むならまだマシかも。事態は思わぬ方に向かっていくのが世の常。一枚の画像が社会問題や人権問題となり、場合によっては、ひとりの命を奪うことにもつながりかねない。そんな意味で「撮」は「殺」だ。

対面(井戸端)での陰口・悪口からインターネット上での陰口・悪口と場を変えている。場を変えただけではない。場が変わることに大きな変化もある。対面(井戸端)の場合、その場にいない友だちの悪口である。社会学にあるスケープゴートの理論だ。保育園や幼稚園に子どもを送った後のお母さん方にありがちな行動は、その場に残って延々とおしゃべりを続けることだ。これは一言で表すと、「その場にいないと不安になる」とのことだ。その場にいないお友だちの悪口」のターゲットが自分になるのが怖いのである。

一方、インターネット上ではハンドルネーム等での使用なので人物を特定されることは少ない。今話している眼の前の人のことをチョイチョイのチョイチョイチョイとスマホで悪口を投稿することも可能だ。極端な例としては、対面(井戸端)で「まぁ〜ステキね」などと話を合わせながら、「全然イケてないやん」などとの本心をスマホから投稿。それも本人の眼前で…というのが可能になる。

こう考えた場合、インターネット・SNSの普及は恐ろしい。このブログ、既に12年。この間、特に炎上はなかったように思うが、エゴサーチをしないから知らないだけかも。何でも知ることができる世の中になっているが、そういう世の中だからこそ、かえって知らないことが平和かもしれない…と、天を仰いで思うこと。

有名人・芸能人ではないなら、エゴサーチはしない方がいいと思う





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