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一汁一菜

投稿日時 2008-5-21 0:06:19
執筆者 rrb
ちじゅういっさい…わずかな一椀の汁物と一品のおかずだけの食事。転じて質素で粗末な食事のたとえ。
◇ちょっと予備知識 → 「一汁一菜の暮らし」などと使う。「菜」はおかずのこと。修行僧や奉公人などは、このような食事が多かったといわれる。
                類義語に説衣縮食(せついしゅくしょく)・粗衣粗食(そいそしょく)がある。
                対義語は三汁七菜(さんじゅうしちさい)・食前方丈(しょくぜんほうじょう)。

野天満宮(京都) vol.6 vol.5はここ(←クリック)   ○付番号は配置図参照(←クリック)
天満宮といえば「梅」と「牛」。
一の鳥居から付近から始まり境内まで、寝そべった牛の像がいくつか置かれている。
天神さん崇敬者の奉納で、その像の形や材質はそれぞれ微妙に違うので見ていて楽しい。





なぜ天満宮に牛なのか?
道真公の生まれが845(承和12)年6月25日で、乙丑(きのとうし)にあたる説。
太宰府で没した道真公のご遺体を運ぶ途中、牛車が動かなくなり、道真公のご意志としてその地に埋葬(その地は現在の太宰府天満宮)、牛を道真公の使いとする説。
天満自在天神という名前に由来する説。
がある。





vol.5で写真のみの掲載だったが、豊臣秀吉が催した「北野大茶会」。1587(天正15)年10月、九州から凱旋して帰ってきた秀吉は聚楽第完成記念と自分が集めた茶道具(名器)を披露するため天満宮境内で庶民にも参加を呼びかけ開催している。
茶席数が800とも1000とも言われる大茶会で、現在、その記念石碑(北野大茶湯之址 )と井戸(太閤井戸 )が右近の馬場(駐車場となっている)にある。





秀吉つながりでは、vol.4で掲載した「御土居」。秀吉は天下統一のあと京都の大改造に取り組み、その一つに京都の町の周囲を囲う築堤を行った。
東は鴨川右岸、北は鷹が峰、西は紙屋川左岸、南は九条通で、全長22.5kmの及ぶこの築堤を「御土居」と呼び、梅林苑へ入るとその一部を見ることが出来る。





北野天満宮の北門を出たところに石仏が奉られており、この石仏は破壊された御土居から掘り出されたものだという。さらに北側にも御土居が残されていて、真近に見ることができる。今日はここまで…今京都。(続く)

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