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罵詈雑言

投稿日時 2008-5-7 0:14:33
執筆者 rrb
りぞうごん…あれこれと汚いことばを並べて悪しざまに言うこと。また、さそのことば。
◇ちょっと予備知識 → 「罵詈」は汚いことばでののしること。「雑言」は「ぞうげん」とも読む。悪口のこと。
                類義語に悪口雑言(あっこうぞうごん)・悪口罵詈(あっこうばり)・
                罵詈讒謗(ばりざんぼう)がある。

のいい
見て見ぬふりをして、聞いて聞かないふりをしたら、そのまま「ものを言わない」のが普通。ところが京都は違う。京都では、その上で相手のために「ものを言う」。



昔々、あるお寺に大変親孝行のお坊さんがいた。ある時、そのお坊さんのお母さんが重い病気にかかり食事もすすまず、だんだん衰弱していく。ある日、そのお母さんが蛸を食べてみたいといった。しかし、ご存知のとおり、お寺では「なまぐさ」である蛸を食することはできない。



随分悩んだが、どうしても食べてみたいと懇願される母親の姿を見て、お坊さんは魚屋に蛸を買いに行く。蛸を大事そうに持ってお寺の山門を入ろうとしたとき、運悪く町の人々に見つかってしまう。



ところが町の人々はお坊さんをとがめることもせず、「ぎょうさん(たくさん)お経の本をかかえて。きつう(たいそう)勉強したはりますねんなあ」といった。その言葉を聞いて、お坊さんは「あぁよかった」と胸をなでおろし、ふと本堂のほうをみると薬師如来が後光を放ってたっていた。



お坊さんの心が通じたのか、蛸を食したことでお母さんは日に日に元気になり、やがてすっかり快復した。という以前に掲載した蛸薬師(←クリック)のお話。



この話は薬師如来のありがたいご利益の話となっているが、見て見ぬふりをしてそれをフォローする形でものを言う京都人の優しさを表した昔話のように思える。
もし、この時、町の人々が何も言わなければ、そのお坊さんの心の中に、蛸を持っているところを見られてしまったというわだかまりがいつまでも残ったことだろう。



病院で見かけた人に対して「顔色が悪いようですが、どこかお悪いのですか?」と声をかけるより、顔色のことはふれずに「どなたかのお見舞いですか?」というほうが相手に対する気配りであると京都人は考える。



自分がその人の立場になれば、どうして貰うことが嬉しいかが自然と見えてくるとうことか。相手が困ることなら、見て見ぬふり、聞いて聞かないふりをして、ものを言う。これが京都人の一面であり、また本質でもあるという。



蛸薬師のお話では、町の人々がものを言ったことで、お坊さんは救われた。この話から、人の気持ちを察してものを言うことの大切さが十分理解できるが、今の時代ではどうだろうか。余計なことと命を奪われてしまうかもしれない。それでも、見て見ぬふりをして、聞いて聞かないふりをして、「ものを言う」という京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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