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神出鬼没

投稿日時 2008-12-30 0:00:00
執筆者 rrb
んしゅつきぼつ…たちどころに現れたり消えたりすること。不意に現れたり見えなくなったりして、居場所がつかめないこと。
◇ちょっと予備知識 → 鬼神のように自在に出没することから。
                類義語に鬼出電入(きしゅつでんにゅう)・神出鬼行(しんしゅつきこう)・
                神変出没(しんぺんしゅつぼつ)がある。

の梵鐘
京都はお寺が多い。当然、梵鐘も多い。それらがいっせいに鳴ったらどうなるのだろうと気になる。『徒然草』第220段に「鐘の音は黄鐘調(おうじきちょう)なるべし、これ、無常の調子」と出てくる鐘が右京区花園の妙心寺にある。698年の作で、銘ある梵鐘の中では最古だという。



その響き(調子)は兼好法師も書いている通り「黄鐘調の鐘」と呼ばれて、余韻が長く心に響く無常の調べとして古来より名高いという。世にいう「天下の三鐘」とは、調べのよい妙心寺の鐘、装飾模様の美しい平等院の鐘、そして銘で知られる神護寺の「三絶(さんぜつ)の鐘」のこと。



神護寺のその銘は、学者・橘広相(たちばなのひろみ)が序を考え、菅原道真の父・是善(これよし)が銘を選び、歌人であり書家と知られる藤原敏行(ふじわらのとしゆき)が序と銘を書いた。三人の優れた技芸が揃ったとして「三絶の鐘」と讃えられるのだそうである。



お寺ではこれらの鐘を、昔は1日に6回、晨朝(じんちょう・午前6時頃)、日中、日没、初夜、中夜、後夜に撞いて、都の人々に時を告げていた。「やはり、音の洪水が…」と思いきや、その音は御所を中心に京の都全体で音の設計がなされているという。



つまり、サウンドスケープという発想。「平安の昔から、そんな壮大な音楽宇宙を都に演出した人がいるのだろうか」、また、「どういうことなんだ」とさらに気になる。よくよく調べると、京都市内に伝わる古い鐘の音の振動数を測定した結果というものを見つけることができた。



その結果によると、鐘の多くは唐古律(とうこりつ)という中国唐代の音の調べに合わせて調律されているということだ。そして、それらは御所を中心にして、寺院のある方角と鐘の調べに関連性があるということだった。



つまり、鐘の調べは北の大徳寺は「盤渉調(ばんしきちょう)」、東山の高台寺・清水寺は「上無調(かみむちょう)」、知恩院は「下無調(したむちょう)」、南の西本願寺は「壱越調甲(いちこつちょうこう)、そして西の神護寺の「三絶の鐘」は「平調(ひょうじょう)」という結果が得られたという。



さらに、これらの音は平安時代後期の音楽理論のもとで陰陽五行説と結びついているという。すなわち、北に玄武(げんぶ)、東に青龍(せいりゅう)、南に朱雀(すざく)、西に白虎(びゃっこ)という獣神を想定し、それによって平安の都は守護されていると同時に、東西南北にはそれぞれの調べがあって、これらの寺院の鐘があてはまるというのである。



なんでも調査した鐘は京都市内の15点で、あてはまらないものもあるということだが、半分の7点は関連性をもつという。陰陽五行説に基づいて、御所を中心に方位に見合った鐘の調べが都大路に鳴り渡っているということになる。



平安京の造営では方位が重んじられたことがわかっているが、そこには方位に見合った音という発想まで含まれていた。そして、その調べに合わせて設計された京のお寺の鐘がいっせいに鳴り響けば、京の都全体が音舞台に変身する。静寂に包まれた平安の都の諸行無常のコンサートといえる。



それはまさに、お寺の鐘が美しい雅楽を奏でる平安の都はサウンド設計された音舞台ということだ。明日は大晦日。いっせいに鳴り響く各寺院の梵鐘に耳を傾けて欲しい…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


 




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