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天網恢恢

投稿日時 2008-5-3 0:13:34
執筆者 rrb
んもうかいかい…些細な悪事でも、天は決して見逃さずに罰を加えるということ。悪いことはするものではないという戒め。
◇ちょっと予備知識 → 「天網」は悪人を捕まえるために天が張りめぐらした網。
                「恢恢」は網の目の粗いこと。一般的に「天網恢恢疎にして漏らさず」の形で使う。
                類義語に天罰覿面(てんばつてきめん)・網目不疎(もうもくふそ)がある。
                対義語は天網之漏(てんもうのろう)。

町通
新旧の民家が立ち並ぶ「小町通」。



南北に延びる細い私道で、長さ100m弱という短さにもかかわらず名前が付いているのは、謡曲にもなった伝説が残るためだという。



平安時代、ともに六歌仙の一人とされた小野小町と大伴黒主が歌合わせをすることになった。小町の名声をねたむ黒主は本番前夜、小町邸で歌を盗み聞き、万葉集が記された草紙に書き加えた。



そして当日。
黒主は草紙を見せて小町の歌を「盗作だ」と批判する。しかし、計略を見抜いた小町は草紙を井戸で洗った。すると、加筆された部分が洗い流され、小町は身の潔白を証明できた。



小町通の南端、一条通との北西角には高さ約50cmの石碑が立つ。側面に「小町通」「小野小町雙紙(そうし)洗水遺跡」と刻まれ、伝説を今に伝える。



紙を洗った水は京の名水の一つ「清和水」とされるが、井戸の正確な場所を知る人は少ない。
一条通は昔、川。このあたり一帯は掘れば水が出て、井戸も随所にあった。ただ、小町が使った井戸がどこにあったのか、確かなことは分からないという。



伝説は謡曲「草紙洗小町」として知られ、近くの一条戻橋も謡曲の舞台となっており、訪れる人は少なくないという。
一帯には小町の邸宅やゆかりの塔もあったとされる。



真偽は定かでなくても、小さな通りが地域の誇りや愛着につながっている。
小町通は、京都市上京区東堀川通一条を東に50mほどの場所から北に延びる。



京都市バスでは「一条戻り橋」下車。小町通の石碑の近くには、宮本武蔵との決闘で有名な吉岡一門の道場にあったとされる「一条下り松」の跡を示す石碑も立っている。写真は全て小町通から…今京都。


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