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先見之明

投稿日時 2008-5-2 0:06:15
執筆者 rrb
んけんのめい…将来のことを前もって見抜く、鋭い眼力。事が起こる前に見抜く見識。天眼通。
◇ちょっと予備知識 → 「明」は、ものを見分ける眼識。
                類義語に先見之識(せんけんのしき)がある。

つけ
京都では、親が子を叱るときに「○○さんにおこられるから、やめとき」という言葉を大変よく使う。これが京都以外の地方の人には「責任を転嫁して子どもを甘やかしている」ように聞こえるという。
しかし、決してそうではない。本当は人様に迷惑がかかるからいけないという意味で使われる強い叱り言葉なのである。



たとえば人様のお家で子どもが走り回ったとすると、「おっちゃんがおこらはるさかい、やめとき」という。子どもが走り回ること自体が悪いといっているのではなく、「走り回ることで人様に迷惑をかけることになるからいけない」としつける。ここが大事なポイントなのである。



親子で買いものに行き、そのお店で子どもが商品にさわろうとしたときも、「お店のもん(商品)にさわったらあきまへん。お店の人におこられまっせ」と叱る。
子どももこう叱られることで、「お店に迷惑がかかるのだ」ということを感覚的に理解する。



もし万が一、子どもがさわったことで商品が破損したような場合、親御さんはどういった行動にでるのか。
子どもに対して「あやまりなさい」と強く叱るのが普通だが、京都では子どもに謝らせるより、まず親がキチンと謝る。



それが人様に対するより深い謝罪だと思っているし、子どもも真剣に謝罪する親の姿を見て本当に深く反省するのだという。
決して親は親、子は子といった考え方ではない。こういう考え方は現代的ではないかもしれないが、これが京都のしつけなのである。



誤解されては困るのが、この「○○さんにおこられるからやめとき」ということばは、怒られなければ何をしてもよいという意味ではないということ。また「上司におこられるからやめておく」といった大人同士の会話ともまったく異質のもの。子どもに対する「しつけ」のことば以外の何ものでもない。



よく似たことばに「そんなことしたら○○さんに笑われるで」というのがあり、これも同じく「しつけ」であり、決して責任転嫁ではない。
京都の町は、人様の目を意識したり、意識させることで、何が人様に迷惑となり、何が人として恥ずかしいことなのかを自然と覚え込めるようにしつけている。



この「おこられるからやめとき」ということばは、子育ての一つの知恵ともいえるが、子を思う親の愛の深さでもあると思う。こんなところから京都の子どもたちは京都人としての素地をしっかりと身に着けていくという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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