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終始一貫
投稿日時 2008-10-29 0:00:00
執筆者 rrb
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しゅうしいっかん…状況が変わっても、最初から最後まで主義を変えず貫き通すこと。態度や考えなどがずっと変わらないこと。 ◇ちょっと予備知識 → 「終始」は終わりと始め、または初めから終わりまで。「一貫」は貫き通すこと。 「一完」と書くのは誤り。 類義語に首尾一貫(しゅびいっかん)・徹頭徹尾(てっとうてつび)がある。 対義語は右顧左眄(うこさべん)・付和雷同(ふわらいどう)。
貴船 vol.2 vol.1はここ ちょっとおさらいになるが、以前に七野(←クリック)を取り上げたときに、西陣の櫟谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)に行った。そこで意外なことにであった。

この櫟谷七野神社は賀茂祭に仕える斎王(さいおう)が身を清めて住まわれた賀茂斎院のあった場所ともいわれている。その社のシンボルのようなクヌギの古木が1934(昭和9)年の室戸台風でなぎ倒されたとき、幹の中から40数本の五寸釘が出てきたという。

古木・大木と五寸釘とくれば「丑の刻詣り」を思い浮かべる。「丑の刻詣り」というのは話に聞いたり、テレビのドラマなどで見たことはあるが、本当にあったらしいという話を聞いて、少し調べてみようと思った。

丑の刻とは今の午前2時頃。その時刻に大木の前に立ち、憎い相手をかたどったワラ人形に呪いの五寸釘をひたすら打ち込む。

この「丑の刻詣り」の原型が、この貴船神社にあると考えられている。

都の水を司る神、縁結びの神、和泉式部もお詣りしたという王朝貴族ゆかりの貴船神社。イメージとは重ならない。

貴船神社の創建は1600年も前といわれるほど古く、平安京の鬼門である丑寅(うしとら)の方角に鎮座する。

鬼門からの悪魔の進入を防いでいるとして、朝廷や貴族の信仰を集めてきた。貴船山に貴船の神が降臨したのが「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」。

心願成就のために、その日時にお詣りするという習慣が、平安時代からあったそうだ。

貴船神社の丑の刻詣りを有名にしたのは「平家物語」にでてくる「宇治の橋姫」の物語と、それをさらに発展させた謡曲「鉄輪(かなわ)」。

しかし、意外なことに、これらの物語のどこにもワラ人形や呪いの五寸釘は登場していないのである…今京都。(続く)

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