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加持祈祷

投稿日時 2008-1-17 9:12:14
執筆者 rrb
じきとう…病気や災難から逃れるために神仏に祈ること。
◇ちょっと予備知識 → 「加持」は真言宗での呪法で、仏の加護によって災いを払う祈りのこと。
                「祈祷」は心を込めて神仏に祈ること。

丸通(からすまどおり) vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)
さて、つまり平安京の時代には今の千本通りが朱雀大路としてメインストリートだった時代に、既に烏丸小路があったということ。



しかし、当時は両側の東洞院通や西洞院通のほうがずっと大きい通りだったということ。



また平安京の市街にかつて流れていた川として、堀川、小川、西洞院川、今出川、夷川などと並んで、烏丸川という川もあったということ。



応仁の乱後、秀吉の天正時代に烏丸川が姿を消したということ。



などがわかった。



そして「烏丸川があったので烏丸小路が生まれ、烏丸小路にもとづいて今日の烏丸通が起こったと見るべきではないか」という一説にであった。



つまり「カラスマ(烏丸)はカワラ(川原)ス(州)マ(際)が語源で、川原の州の上に発達した所という意味ではないか」ということだ。



現に烏丸線の地下鉄工事では川原があったことを示す砂層がみつかっており、烏丸綾小路では弥生時代の住居が川原州に発掘されたそうだ。



この説が正しいなら「烏」も「丸」も当て字ということになる。本来は「カワラスマ(川原州際)」。烏丸の「丸」を呼びやすいように「マ」と略したのではなく、マ(際)という音が先にあって、そこに中心(本丸)の意味を込めて「丸」の字を当てた、というわけだ。



今風にいえば、フリーマーケットのことを略して「フリマ」と呼んだりするが、そこに「振丸」と漢字を当てたようなもの、といえばいいかな。いずれにしても「烏丸」にかかわらず、読み方が結構難しい。



調べて思ったのであるが、この問題については、「ここは、かつての王城の地である、都である。日本語はここから生まれたのである、と平然と構え『そうかぁ、これが都ことばというものか』なんて、妙に納得するにとどまることがいい」ようだ。
そうそう、昨日の「烏丸丸太町」の読み方は「からすままるたまち」…今京都。(一連の写真は烏丸通の北側(北大路)から南側(京都駅)までの間の風景)


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