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続・高瀬川

投稿日時 2016-11-28 0:00:00
執筆者 rrb
当時、京都には港がなかった。そのため、大坂方面から舟で運ばれてくる物資は、一度、淀や伏見、鳥羽といった京都近郊の港で荷揚げされ、そこから陸路で京都市中に運ばざるを得なかった。

了以は、ここに商機を見出す。京都市中まで舟で運ぶことができるようになれば、多くの商人が利用し、舟賃を徴収することによって利益をあげようとしたのである。高瀬川が拓かれると、舟を通じて京都には大量の物資が流れ込み、生活物資の価格が下落。京の人々は大いに喜んだと伝えられる。

その後、1877(明治10)年、七条〜大阪間を鉄道が走るようになり、高瀬川の舟運は徐々に利用されなくなっていき、1920(大正9)年6月、約300年続いた高瀬川の舟運はその歴史に終わりを告げる…という今京都。




《高瀬川》

陸運にかわって舟運。その後、再び陸運に…時代の流れを感じるね





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