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鬼面仏心

投稿日時 2008-4-19 0:25:18
執筆者 rrb
めんぶっしん…怖そうに見えて、実は非常に優しく穏やかであること。またそのような人。
◇ちょっと予備知識 → この逆で、見た目が優しそうで本当は残酷な人を
                「外面如菩薩(げめんにょぼさつ)内心如夜叉(ないしんにょやしゃ)」という。
                対義語は人面獣心(じんめんじゅうしん)。

師院 こぬか薬師
二条城に近い京都市中京区大黒町。釜座通に面した一角に、小さなお堂がひっそりたたずんでいる。病平癒の御利益があるという「こぬか薬師」で知られる薬師院だ。



薬師院の縁起によると、本尊の薬師如来は伝教大師が16歳のおりに彫った七体の一つで、現存するのは延暦寺と同院のみという。薬師院の本尊は比叡山から美濃(現在の岐阜県)の寺を経て、現在の場所に移されたといわれる。



「こぬか」のいわれは鎌倉時代にさかのぼる。1230(寛喜2)年、疫病が全土に流行して、貴族や民衆の区別なく死者が相次いだ。
ある日のこと。この寺の住職の夢に本尊の薬師如来が現れ、こう告げた。「わたしの前に来れば一切の病苦を取り除こう。来ぬか、来ぬか」と。感激した住職はお告げをふれ回り、遠国からも病人が集まった。本尊にお祈りするとたちまち病気は治り、長寿をまっとうできた。以降、この本尊を「こぬか薬師」と称するようになったという。



その後、16世紀に上洛を果たした織田信長が、御利益を聞いて美濃から移した。1688(元禄元)年には黄檗宗の鉄面寂錬禅師が再興し、京都七薬師の一つに数えられた。



薬師院は一時、大黒町一帯にまたがる広大な境内を持っていたが、幕末に蛤御門の変で焼失。1889(明治2)年に裏門を正面にして縮小再建された。



戦後は再び荒廃し、24年前には「本堂は床が抜け、庫裏の屋根は落ちていた」という。
現住職が、たく鉢に歩き回り、黄檗宗にちなんだキハダの数珠を名物にするなど努力を重ね、7年前に庫裏を再建。町内や薬師如来の信者さんに助けられ、ようやく復興できたと喜んでいる。



また、現住職は以前、普茶料理で有名な黄檗宗本山、万福寺(宇治市)の台所を預かる典座長だったという。数年前からは特技を生かして参拝者に料理を振る舞っているという。



こぬかの由来には、周囲に鹿子(かのこ)髪と呼ばれる髪形の女性が多く、「かのこ薬師」と呼ばれていたのが転じたとの説もある。薬師院はかつて薬の市が立ったといい、二条通に薬問屋や漢方薬店が多いのはその名残といわれる。



薬師さんの御利益と体に優しい普茶料理は「癒やしの時代」にぴったりの組み合わせかも知れない…今京都。

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