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鴨川の湾曲

投稿日時 2016-11-3 0:00:00
執筆者 rrb
さて、前回の続き。話は平安時代にまでさかのぼる。794(延暦13)年、説きの桓武天皇は平安京を造営。このとき都の造営地として「四神相応」の地ということで山城国が選ばれる。四神とは、北は玄武、東は青龍、西は白虎、南は朱雀の神々のことで、それぞれに適応する地形があった。玄武は山、青龍は川、白虎は道、朱雀は水である。

平安京の場合、北の玄武に相当するのは船岡山、西の白虎に相当するのが山陰道や木嶋大路、南の朱雀に相当するのは巨椋池、そして東の青龍に相当するのが鴨川だった。

ここに鴨川がまっすぐではなく、湾曲した理由が秘められている。蛇のような姿をしている龍が一直線に伸びていれば、それは死気(風水で「生気」の反対の意)を意味する。活気に溢れた龍を表現するためには、川が湾曲している必要があった。龍の胎動を表すかのように川が敷かれたため、鴨川の流れは五条近辺で曲げられた…という今京都。


《京都・鴨川/五条通界隈》

ゆるやかに湾曲していくのがわかるね





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