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涸れる川

投稿日時 2016-10-20 0:00:00
執筆者 rrb
平安京域を流れていた川は、徐々にその姿を消していく。川は、邸宅内の庭園に設けられた池への引水のほかに、ゴミや屎尿の排水用としても利用された。そのため川はゴミや屎尿で下流から徐々に埋まっていくこととなった。

こうした状況を改善するため、流れなくなった場所の上流部でほかの川と合流させる工事が行われ、徐々に川の数は減少。さらに室町時代の応仁の乱で多くの川が涸れ果てた結果、江戸時代の平安京域を流れる川は、東から今出川、西洞院川、東堀川、西堀川(紙屋川)のみとなった。

これらの川面、時代の流れによって暗渠化されていく。明治時代に京都市電の開通にともなって、今出川や西洞院川がその姿を消す。

時代の流れとともに川の水は流れなくなるというのは皮肉やね…という今京都。


《京都・市電の模型》

時代は流れ、川は流れずというのはホンマに皮肉やね





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