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絶体絶命

投稿日時 2008-4-11 0:06:42
執筆者 rrb
ったいぜつめい…追いつめられて進退窮まった状態。どうしようもないせっぱ詰まった事態。前門の虎、後門の狼。
◇ちょっと予備知識 → 「絶体」「絶命」は共に、九星占いの凶星で、破滅の星回りといわれる。
                「絶体」を「絶対」と書くのは誤り。
                類義語に風前之灯(ふうぜんのともしび)・窮途末路(きゅうとまつろ)・
                山窮水尽(さんきゅうすいじん)がある。

倉あん vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)



『菓子話船橋』(1840)によると、粒あんは鹿の子まだらのようである。鹿の子まだらといえば鹿、鹿といえば紅葉、というわけで有名な歌にちなんだというのである。
また、「今ひとたびのみゆきまたなむ」ならぬ「今ひとたびのお出でをおまちする」とお客様の再来店を願って「小倉あん」と命名されたとされている。



ん〜、なんだかわかったようなわからんような…。
鹿の子餅という和菓子があるそうだ。甘く煮た小豆のつぶつぶを外側につけたお餅のこと。
江戸時代には既にあったようだから、鹿の子といえば小豆のつぶつぶ、と、当時ここまではコンセンサスがとれていたことになる。



そこで命名者は考えた。小豆といえば鹿の子、鹿の子といえば紅葉、そして紅葉といえば小倉山。ほかならぬ三段論法ではないか。「今ひとたびのお出でをおまちする」は、縁起かつぎといったところか。



ちょっと苦しい気もするが、「鹿の子あん」と安直に名づけてしまわず、「小倉あん」ともってくるあたりに、京の和菓子屋さんのセンスが感じられる。
和菓子屋さんは昔から、花鳥風月や和歌の世界に生きているのだと実感させられる。



中国から持ち帰った小豆の種を日本ではじめて栽培したのが小倉の里で、平安時代のこと。
この小豆に砂糖を加えて煮詰められたあんが、宮中に献上されていたそうで、さらに、小倉山麓は小豆畑の発祥地だという。



2005年3月「小倉餡発祥之地」という碑が、小倉山麓、二尊院の境内に建てられた。碑には小倉あん発祥の由来が刻まれている。



小倉あんまでが京都が発祥の地であったというのは驚きである。今更ながら京都の歴史の奥深さに脱帽するばかりである…今京都。

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