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多情多恨

投稿日時 2008-4-3 0:10:02
執筆者 rrb
じょうたこん…何事にも感じやすく、すぐに恨んだり悲しんだりして気をもむこと。気が優しく、何かにつけて心をかき乱されること。恋慕や愛情が豊かであるさま。
◇ちょっと予備知識 → 「多情」は物事に感じやすいこと。または移り気なこと。
                「多恨」は恨みや悲しみの気持ち。

輪際
「こんな仕事、金輪際ゴメンである」と叫んで投げ出せば、どんなにスッキリするかと思いつつ、今日も遅くまでヘトヘトになるまでお仕事をしてしまった。



「金輪際」という言葉は、時としてとても誘惑な響きがあり、喉元までせりあがってくる言葉である。喉元までくるが、実際に言葉として発することがなかなかできないのも事実。何故に一線を越えようとしないのか…とても謎の言葉だと思う。



そもそもこの「金輪際」って何?と疑問をもった。この言葉、鎌倉時代に書かれた『平家物語』にも見られるほどだから、京の都では随分古い歴史をもつことになる。
「金輪際」を広辞苑でひくと、仏教用語として「地層の最下底の所。無限に深いという」となっている。仏教の世界では、わたしたちが立つこの大地は金輪(こんりん)、水輪(すいりん)、風輪(ふうりん)の三輪によって支えられているという。



地底世界には、まず金輪があり、金輪の下には水の層の水輪があって、さらにその下にはガス状態の風輪がひろがるという。そして金輪と水輪の接するところが「金輪際」で、大地の奥底、どん底、あるいは極限という意味だそうである。



地層を奥深くもぐって、地球中心部のマグマにいたる過程といえばいいのだろうか。だが「金輪」と聞くたびに、五重塔や三重塔の上にのびる相輪(そうりん)や九輪(くりん)という名の金輪(かなわ)が頭に浮かんでしかたがない。吉野の金峯山寺は、そういえばまたの名を金輪寺といったそうだ。
「こんな仕事、大地の奥底までゴメンだ」と心の中で叫んでいる。



しかし、考えてみれば、大地のどん底まで、極限までイヤだイヤだといいながら、金輪の下にはまだ水輪がある。そして水輪の下にはまだ風輪がある。
極限までゴメンだとわめきつつ、実はその下や、さらにその下がまだ密かに用意されている。究極の究極にいたるにはまだまだ余裕がある。



こんな考えをもって「金輪際」をしようするようになったかどうかは不明だが、もし、そうなら昔の人のこんな考え方が好きである。



五重塔の相輪や九輪と関係があるのかと思いきや、まったく関係がなかったというお話。いずれにしても「金輪際」は、意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.15…今京都。前回の語源は「左馬」(←クリック)。※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

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