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今京都 続・五条大橋 2016/12/06 12:00 am

五条大橋を現在地に移したのは、豊臣秀吉である。1586(天正14)年、秀吉は東大寺よりも巨大な方広寺大仏殿の造立に着手。1595(文禄4)年頃に感性した。それに伴い、清水寺への参詣路・五条大路(現・松原通)に架けられていた五条橋を、下流の六条坊門小路(現・五条通)につけ替えた。参詣者の足を清水寺ではなく、方広寺に向かわせようという目的のためだ。よって当時五条大橋は大仏橋と呼ばれていたという。

五条大橋と名を変えるのは、1645(正保2)年、橋が石製に回収されてからのことだった。これに応じて通り名も五条通と改称され、旧五条橋と旧五条大路はそれぞれ松原橋・松原通とされた。現在の松原通に面して鎮座する五條天神社の社号など、「五条」と名のつくものが松原通に多く残っているのは、かつての通り名の名残である…という今京都。




《京都・松原橋と界隈にある立札》

本当はもっと内容が濃かったのでは? 詳しくは記事一覧から見てね〜

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今京都 五条大橋 2016/12/05 12:00 am

♪ 京の五条の橋の上 大のおとこの弁慶は 長い薙刀ふりあげて 牛若めがけて切りかかる
牛若丸は飛び退いて 持った扇を投げつけて 来い来い来いと欄干の 上へあがって手を叩く
前やうしろや右左 ここと思えば またあちら 燕のような早業に 鬼の弁慶あやまった ♪

『牛若丸(うしわかまる)』は、作詞者・作曲者ともに不明の1911年に発表された日本の童謡・唱歌(文部省唱歌)である。

時は、今から約850年前の平安時代のこと。月が美しいある夜、牛若丸が笛を吹きながらごじよう五条大橋を渡ろうとしたところ、突然、弁慶が現れて勝負を挑んできた。後は歌詞にあるとおりの結末だ。現在の五条大橋の西側、国道1号の中央分離帯部分に整美された公園には牛若丸と弁慶の戦いの様子を表現したモニュメントが置かれている。


《京都・現在の五条大橋にあるモニュメント》

しかし、実は、牛若丸と弁慶が出会った場所は、現在の五条大橋ではない。平安時代の五条大橋は、現在の五条大橋から約240m北に位置する現在の松原橋であった…という今京都。


《京都・現在の松原橋》

この記事以前にも掲載してたよね。けど新鮮やわ

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天を仰いで思うこと 日常的なことが一番 2016/12/02 12:00 am

気づけばもう12月。月日の経過の早いことよ。2016年も残り1カ月を切ったということやね。変わらないのは日常の雑多。それが一番の幸せかも…と、天を仰いで思うこと。

んっ、なんか悟りをひらいたような感じ?

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今京都 平安神宮界隈 2016/12/01 12:00 am

意外と行かない場所でもある。こんな雰囲気があるとは知らなかった。散策は丁寧にすべきだね…という今京都。






《京都・岡崎・平安神宮界隈》

自転車でパーッと行っては、サッと帰ってくるのはやめようね

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今京都 続・伏見 2016/11/30 12:00 am

1877(明治10)年、京都〜大阪間に鉄道が敷かれると、伏見港はその繁栄に陰りをみせる。物流の主軸が陸運へと移り変わるのに伴い、船や問屋などは徐々にその姿を消していく。それでも昭和初期までは舟運による貨物輸送が行われていたが、1963(昭和38)年、伏見港の埋め立てが決定。300年以上に及んだ港の歴史に終止符がうたれた。

その跡地に整備されたのが、現在の伏見港公園である。1967(昭和42)年にテニスコートと子ども用プールが、1982(昭和57)年に総合体育館がつくられた。

港町としての役割を終えた伏見だが、1994(平成6)年伏見港開港400年祭の開催を契機に十石舟と三十石舟が復元され、濠川(宇治川派流)下りを楽しめるようになった。舟に乗りながら、かつての伏見港の栄華に思いを馳せるも一興かと…という今京都。






《京都・伏見》

焼き鳥の美味しい店もあったよね

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