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今京都 いかれこれ 2009/07/19 12:00 am

かれこれ
してやられたかたち。打ち負かされた格好。参った。「ほんまにイカレコレや」 イカレルからイカレコレを作った。イカレコロともいう。イカレコレは、「コロッとイカレテしもた」の「コロッ」と「イカレ」を転置した形であろう。イカレルは、してやられる、先手を打たれるの意味。「あんなこと言われて、先生も生徒にイカレテルやないか」「あいつにうまいことイカレテしもたわ」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語(269)




 

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今京都 おきばりやす 2009/07/18 12:00 am

きばりやす
精出してがんばってください。「よう勉強しやはりますな、オキバリヤス」 キバルは「気張る」からで、もとは息をつめて力むこと。「オ〜ヤス」の構成で敬意を示す。仕事をしている人に呼びかけるあいさつことば。祇園花街では、舞妓・芸妓をお座敷に送り出すときに、子方屋の女主人が「オキバリヤッシャ」という。「キバッタハリマスナ」と呼びかけることがある。やや皮肉を込めて受け取ることもある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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斗町(ぽんとちょう) (旧フォトヴィレッジ 2007年8月30日掲載)
知らなければ読めない「先斗町」。この町はもと鴨川の河原で、1670(寛文10)年、鴨川の護岸工事により三条通から四条通一町下ルの間に細長く伸びる新しい町ができた。新河原町と名づけられていたのだが、やがて四条以北を先斗町といい、四条以南を西石垣(さいせき)と呼ぶようになった。



初めは鴨川べりの先端だけに4・5軒ばかりの家が建ち、高瀬川のある西側には家がまったくなかったので「先斗(さきばかり)」といったそうだ。ポルトガル語でポンタは先、ポント(英語ではポイント)は点を意味し、漢字では「先斗」と書く。そういったところから「先斗町」という名になったらしいのだが…。



この「先斗町」の読み方は、1682(天和2)年に出版された井原西鶴「好色一代男」の中に、既に「・・・ぽんと町の小宿にかへりぬ」と登場している。1670(寛永10)年の鴨川護岸工事から12年後のことであるから「ぽんと町」の呼び名が定着するのにそれほど時間がかからなかったということか。



西鶴の小説では、先斗町は宿屋街として描かれている。町が開かれた当初は、水運盛んな高瀬川の旅客や船頭を相手にする宿屋が建ち並んでいたようである。先斗町が花街になったのは、ずっとのちの1813(文化10)年からである。



「ぽんと町」という変わった読み方や、外国語をいちはやく町名に取り入れるあたり、京の花街らしいと理解しがちだが、実はそうではない。新しくできた普通の町に「ぽんと町」とはなんとも大胆なネーミングをしたものであると理解したほうがすっきりする。



先斗町の15番路地には、お参りをすると「おおきに、おおきに」と応えてくれる、音声つきの大明神さんが祀られている。その名を「十五大明神」といい、千社札がびっしりと貼られている。1978(昭和53)年に先斗町で火事があったとき、この15番地路地で火が鎮まったのは、ここにいた信楽焼きのおタヌキさんのおかげというのでそのおタヌキさんを祀ったというのだが…。



夜には、ほろ酔い加減の男性が行き交う。憧れは祇園? それとも先斗町? いずれにしても祇園と並ぶ遊興地、先斗町…今京都。


 

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天を仰いで思うこと かんがえときまっさ 2009/07/17 12:00 am

んがえときまっさ
「考えておきますよ」の意で、他人に物事を依頼しに行ったとき「カンガエトキマッサ」と言われる。しかし、相手が実際に依頼の用件について、親身に考えてくれているものと期待するわけにはいかない。「京のお口別嬪」といって、口先では穏やかに婉曲の表現をすることがある。買い物に行って、店で「またにしまっさ」と言うのも、相手を傷つけない配慮であろう。実際は次に買ってくれる保証はない。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(66) きょうの京
7月17日は祇園祭山鉾巡行



太刀を左、右、もう一度左に振り、最後に真上から注連縄を一刀両断。観客の拍手がわくなか、ふたつに切られた注連縄が道路に落ちる。長刀鉾の生き稚児により神域との境界が開かれ、いよいよ祇園祭山鉾巡行が始まる。
午前9時、四条烏丸に長刀鉾を先頭に32基の山鉾が巡行順に集結、四条堺町にもうけられた関所で「くじ改め」がおこなわれ、くじ取らずの山鉾以外は奉行役の京都市長に各々くじを提示して、くじ順どおりにしたがっていることを示す。そのあとに四条麩屋町で斎竹(いみたけ)の注連縄切りが行われ巡行が始まる。
扇を手にした音頭取りの「ヨーイヨーイ、ヨーイトセー」の掛け声にあわせて、曳き手が鉾につないだ綱を引っ張る。直径約2mの木の車輪がギシリと音をたてて動き出し、四条通を東へゆっくりとすすむ。豪華な懸装品をまとった山鉾が、つぎつぎに長刀鉾にしたがってゆく。



見せ場は四条河原町、河原町御池、新町御池の角で方向転換する「辻回し」である。囃子方などを乗せて重さが10tにもなる鉾を青竹を車輪の下に入れ、音頭取りの「ヨーイトセー、エンヤラヤー」の掛け声に、綱を引く人、車輪を押す人が満身の力を入れるとギュルギュルと音をたてながら、少し方向がかわる。また青竹を入れなおし、掛け声にあわせて、方向を変える。ようやく方向転換がすみ、お囃子が涼やかな音を奏でるなか、すすみだす。山は、神輿のように担ぎ手が轅(ながえ)をもって担いで方向転換する。
新町通を前に稚児は長刀鉾からおりて、八坂神社へ授かった位を戻しに詣る。新町通から山鉾は各町へ帰っていく。新町通は鉾一基が通るといっぱいになってしまう狭さなのだが、目の前にそびえ立つ山鉾は迫力満点である。町内に戻った山鉾は邪気がつかないようにすぐさま解体され、保存庫にしまわれ、来年の出番を待つ。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

午後6時、八坂神社西後門の石段下に白い法被を着た男衆約1500人が勢ぞろい。かなりの熱気がすでにあふれている。祇園祭の神幸祭は「おいで」とも呼ばれ、素戔鳴尊(すさのおのみこと)を「中御座(なかござ)」、櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)を「東御座」、八柱御子神(やばしらみこがみ)を「西御座」の神輿で四条寺町の御旅所に迎える。974(天延2)年にはじまったという、祇園祭でもっとも重要な神事である。神輿の重さは約2t、担ぎ棒は約10m。担ぎ手は神輿を高々と担ぎ上げて神への敬意を示す「差し上げ」ののち神職からお祓いをうけ、つぎに「ホイット、ホイット」の掛け声にあわせて、神輿にくくりつけられた大きな鈴がジャランジャランと賑やかな音をたてるなか時計回りに回転させる「差し回し」を披露すると見物客から歓声がわきおこる。三基はそれぞれ氏子区域をめぐって午後9時半ころ御旅所に到着し、24日の還幸祭で八坂神社に戻る。


(おまけ)

祇園祭の山鉾巡行、一度はゆっくりと見たいと考えつつも、できないでいる。来年の7月17日は土曜日。見物客のひとりになりたい…と、天を仰いで思うこと。
★前回の「きょうの京」はここ(←クリック)


 

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今京都 おため 2009/07/16 12:00 am

ため
贈り物を受けたときに出す返礼の品。贈り物を持参した人に「ちょっと待っておくれやす。オタメ入れさせてもらいますよって」といい、オタメガミを進物の盆の上に載せて渡した。オタメガミは半紙を二枚四つ折りにしたもの。かつて京都御所ではオトビ・トビと言った。宮廷の公式日記『お湯殿(ゆどの)の上(うえ)の日記』にも記される。オウツリともいう。オツリと同じく釣り合いを保つの意味からである。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
★関連記事はここ(←クリック)

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うひとつの五山 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月22日掲載)
先日に続いて、もうひとつ大文字のお話。それは「雪大文字」。五山の楽しみ方は夏の夜の炎に浮かび上がる文字だけではない。冬の朝、里に薄っすらと雪が積もった日には、「大」の字がくっきりと白く雪で浮かび上がる。それは日差しを浴びると消えてしまいそうな、朝のひとときの美しさ。人々はそれを「雪大文字」と呼んで「雪大文字を見た日はええことがおすえ」と言い合ったという。残念なことに「雪大文字」は最近撮れていない。地球温暖化による影響からか、京都は雪が減った。少し積もったと思っても、写真が撮れる光の当たり具合になるまでは溶けてしまう。



調べて見ると大文字にまつわるおまじないは「雪大文字」以外にもたくさんある。
「お盆やお椀に水を入れて、『大』の字を映して飲むと、その年は一年中風邪を引かない」
「燃え盛る大文字の火影を、盃に映して飲み干すと、中風にならない」
「茄子に穴をあけて大文字を見ると、目を患わない」
「燃焼し尽くして炭になった送り火の燃え木は、家の魔除けになる」
「松が燃えた後の消し炭は、粉にして飲むと胃の薬になる」
「大文字の消し炭や灰は、中風や痔の薬になる」
などなど。また、送り火の翌朝は、燃え木を拾って除災招福を願おうと、早朝から山に登る人が後を絶たない。大文字のおまじないは、今も信じる人が多いのか、燃え木も消し炭も一夜のうちになくなってしまうという。少し前までは、送り火の点火時間が近づくと、潮が引くように街の灯が消えて、それもまた風情だった。最近は、点火時間が迫っても、街の灯が消える気配もなく、実際に消えていない。



この風情ある夏の壮大な炎のページェントをもっと楽しむために、「外灯や家の灯を消して、大文字五山送り火を拝むと、願いがかなう」なんておまじないを加えたい気もする。また五山送り火の「大」の字が「太」や「犬」になった時がある。当然、わざと「太」「犬」としたわけでなく、風で飛ばされた炎のイタズラ。「大」以外の文字となった時は何か不吉なことがあるかも知れないと心配したけれど、結局、良いことも悪いこともなかった。「大」以外の文字に化けることは無かった今年の五山送り火。このように五山は8月16日の夜のイベントだけでなく、日々の生活に溶け込んで京都の街を優しく見守っている。京都で暮す人々の心の支え、見上げればいつもそこにある存在。どのようにして始まったのか不明ではあるが、太古の時代から人々の暮らしとともに守られてきた。そして、まるで駅伝のたすきのように時代から時代へその文化が継承されているのは確かである。これこそ歴史都市京都の真髄かも知れない…今京都。


 

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天を仰いで思うこと くちなわ 2009/07/15 12:00 am

ちなわ
蛇。「このごろは都会で、クチナワ見かけんようになったな」 クチチとも。クチは朽ちること。クソヘビのクソ(糞)と同じように、クチ(朽ち)は、ののしり、憎む意味の接頭辞。クチナワのナワは古語「ナブサ(青大将)」が変化し存続した形である。江戸時代後期の辞書『丹波通辞(たんばつうじ)』には、茶色の蛇を「なぶそ」というとある。クチナワは、もと有害な蛇を指したが、後に蛇の総称となった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(65) きょうの京
7月15日は祇園祭の宵々山



この日の早朝、古来この役を担ってきた東洞院高辻上ルの高橋町の人たちによって四条麩屋町に斎竹(いみたけ)が立てられ、注連縄が張られる。斎竹は神域との結界をあらわし、山鉾巡行前に生き稚児が太刀で注連縄を切り、その結界を開く。



梅雨が明けきれず、蒸し暑い宵を迎えた午後6時、烏丸通から八坂神社までの四条通は歩行者天国となり、午後11時ころまで人波は絶えない。2007(平成19)年には土曜日と重なったので42万人の人で溢れかえったが、2008(平成20)年は火曜日ということもあって28万人。過去の宵々山の人出数は2000(平成12)年の58万人を最高に1995(平成7)年の46万人、1992(平成4)年の45.5万人となる。天気と曜日に左右される人出数というところだろう。また、午後8時からは八坂神社で三基の神輿に神霊を遷す宵宮祭が、境内の灯かりをすべて消し暗闇のなかで厳粛に行われる。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

月鉾は今年から駒形提灯の電球を蛍光灯からLED電球へ変更するという。昨年、32基の山鉾は一斉に駒形提灯の電球を白熱灯から省エネ型の蛍光灯へ交換したらしい。今回はさらに「環境に優しいエコな山鉾」づくりをめざしているといえる。浴衣を着たカップルや親子連れ、カメラを持った人々がそぞろ歩く宵々山。その裏では祇園祭の行事が粛々と進められている…と、天を仰いで思うこと。


 

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