ID : Pass :  | register
フォトヴィレッジ
(rrbのブログ)
上手い下手は関係なし
感じたままの気ままな
写真と言葉を掲載
*画像は全てリサイズ済*
 
------------------------------
《写真カテゴリ》
*
京都の町の
そぞろ歩きは
今京都
* *
スズメさんで
天を仰いで思うこと
* * *
四方山話は
おやかまっさん
* * * *
京都以外の町で
足の赴くままは
◆◆なう
------------------------------
色々とチャレンジする
rrbのブログ
フォトヴィレッジ




Photographer affectation
Delivered from Kyoto
Since 2006/4/25
Since 2007/12/9
(Renewal Start)
Copyright (C) 2006
www.rrbphotovillage.jp
All Rights Reserved
カレンダー
« « 2025 7月 » »
29 30 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 1 2
ご案内
今京都記事一覧
京ことば記事一覧
京が語源記事一覧
天を仰いで記事一覧
・スズメの写真
------------------------------
アクセスカウンタは
不具合のため
運用停止中
2017/9/27
過去ログ
     

rrbのブログ - rrbさんのエントリ

ヘッダーナビゲーション

現在のカテゴリー位置

サイト全体のカテゴリーナビゲーション

天を仰いで思うこと いちびる 2009/07/24 12:00 am

ちびる
ふざける。じゃれる。調子に乗って度を越してはしゃぐ。「そんなにイチビルと、けがするで」 イチビルのイチは「逸」の意か。江戸時代には「自分にできもしないことを調子に乗ってする」ことをいった。「市振り」からとの説がある。「市振り」は、競り市で手を振り、値段の決定を取り仕切ることであった。魚市場の競り市で手を振ることからか。イチビリは、調子に乗ってふざける人のこと。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

方山話(68) きょうの京
7月24日は祇園祭 花傘巡行と還幸祭



子ども神輿を先頭に、花傘を被った華やかな女性の行列や、祇園太鼓、鷺舞、獅子舞、稚児武者、祇園花街の芸舞妓たち約1000人が、午前10時に八坂神社石段下を出発し、四条通、河原町通、御池通、寺町通を経て、また八坂神社に戻るコースを練り歩く。1965(昭和40)年まで山鉾巡行は7月17日に「先(さき)の祭」、7月24日に「後(あと)の祭」がわかれておこなわれていたが、次の年から7月17日に統合、「後の祭」の代わりに花傘巡行が始められた。朱傘の周りを飾り、車に乗せられた花傘三基が巡行し、御旅所ではくじ改めも行われる。



祇園祭の神幸祭で三基の神輿で御旅所に遷された御霊を八坂神社に還す神事が「還幸祭」。午後5時頃、御旅所で中御座から順に担ぎだされ、三基それぞれのコースを練って、三条通の御供社へ向かう。四条烏丸や大宮などの大きな通りでは、「差し上げ」や「差し回し」が行われる。神幸祭同様担ぎ手が「ホイット、ホイット」と掛け声をかける勇壮なお練りである。御供社でお祓いを受けたあとはそれぞれ午後10時から11時過ぎに八坂神社正門から境内に戻り、舞殿を三周したのち、神輿は安置され、午前0時より本殿へ御霊を還す「御霊還し」の神事が暗闇のなか神職により厳粛におこなわれる。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

7月17日の山鉾巡行で祇園祭は終わったと思われがちだが、7月31日まで、まだまだ続く。祇園祭は本当に壮大なお祭りだ…と、天を仰いで思うこと。
★前回の「きょうの京」はここ(←クリック)


 

このエントリーの情報

今京都 あわさ 2009/07/23 12:00 am

わさ
間。すきま。「歯のアワサに何かはさまって、なかなか取れへん」 アワサイ、アワイサとも。「タンスのアワサイに定規が落ちてしもうた」 あわい(間)に基づく。時間的にはアイサニという。「アイサニええこと言わはるな」 空間的にはアワイサ、時間的にはアイサニと使い分ける。アイもアワイも「間」の意。アワイからアンバイという語を作った。アワイは物と物の交わるところ、人と人の関係をいった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

火天満宮(すいかてんまんぐう) (旧フォトヴィレッジ 2007年8月25日掲載)
水火天満宮は、水難火難除けの神として知られている。1952(昭和27)年の堀川通拡張工事に伴い堀川通を挟んだ西側の上天神町から現在地に移転されたという。社伝によれば、923(延長元)年6月25日に醍醐天皇の勅願で菅原道真の神霊を勧請し建立されている。もとは悲田院の鎮守社であったが、菅公信仰と結びついたと伝えられている。





表鳥居の前に「日本最初 水火天満宮」と刻した大きな石標と、「孝学堂跡」と刻した小さなの石柱が見られる。孝学堂は、江戸時代に天満宮宮司の孝道が境内に開設した学問塾をいう。



境内にある「登天石(とうてんせき)」は、903(延喜3)年、菅原道真公が大宰府の地において亡くなられた後、都では雷火の災いが重なったことから人々は菅公の怨霊のせいだと不安が高まった。醍醐天皇は延暦寺の法性坊尊意僧正に祈祷を依頼。勅命を受けた尊意が急いで宮中へ向かう途中、鴨川が急に増水して渡れなくなったが、尊意はあわてず手にした数珠をひともみし、祈願したところたちまち水位が下り、水面が二つ分かれ流れの間から一つの石が現れ、その上に菅公が現れやがて昇天し雲の中へ消え、雷雨も止んだという。のちにその石を陸に移動して供養して「登天石」といしたという由来をもつ石がある。





また、傍には近年出世した人が寄進された「出世石」がある。さらには、眼に効能があるという「金龍水」と称する湧き水もある。
なお、「登天石」の横に「是より洛中荷馬口付のもの乗へからす(乗るべからず)」と刻した石柱がある。この意味は「馬に乗ったまま洛中へ入ってはならない。荷を載せた馬は,馬の口取り(馬子)が手綱を引いて歩くように」という意味で、江戸時代の1695(元禄8)年に市街地の交通安全のために、都への出入り口30カ所に木杭で設置された。水火天満宮は、鞍馬口街道沿いである。その後、朽ちたので1717(享保2)年石漂に作り替えた、その中の一つとされる。



車の通行量が多い堀川通りに面していると思えないくらいひっそりとした佇まいの境内。それにしてもここにも菅原道真公の影が! 恐るべし菅原道真公…今京都。


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと いいたいこといい 2009/07/22 12:00 am

いたいこといい
遠慮しないで言いたいことをいう人。京都では遠慮しないで自己主張する人は、尊敬されない。なるべく遠慮がちに、婉曲的に表現するのが上品とされる。ずけずけと物を言うと「イイタイコトイイや」と煙たがられる。よくしゃべる人は「シャベリ」である。シャベリは、唇が減ることから。シャは口にくわえて食う「しゃぶる」、咳をする「しわぶく」の「しゃ」「しわ」と関係があり、唇の意味である。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

のネタ雑学(46)
目をつぶると、まっすぐ歩けないのはなぜ?



目隠しをしてやるスイカ割りは、どうしても真っ直ぐ進まないので、なかなか目標にたどり着けない。これは人間の体を中心線で分けたとき、左右がまったく同じにはできていないため。たとえば心臓は中心線よりも左にあるし、肝臓は右にある。また、手足の長さや太さも左右で違う。右足と左足の大きさが違って、靴を買うときに困るという話もある。



左右が対称でないということは、左右の重さも違う。利き足のほうが踏み込み方が強くなることも影響して真っ直ぐに歩けないということ。ふだんは、無意識のうちに周りを見ながら方向を修正しているということ。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

しっかりと見て、方向がぶれないのは大切なことだ…と、天を仰いで思うこと。
★前回はここ(←クリック)


 

このエントリーの情報

今京都 あらける 2009/07/21 12:00 am

らける
火を掻き広げる。昔は火鉢の生活が普通であったが、「火鉢にひー(火)が、おぼんだる(埋めてある)さかい、アラケてぬくもりや」と言った。イラケルともいう。イラケルはイラウ(いじる)とアラケルが交錯した形。アラケルは、粗くし、ちりじりになる意から。開きがある、間隔をとるの意味でもいう。「あこの嫁さんは、ご主人と年がアラケタル」 アダケルは京都府北部で転げ落ちるの意味で使う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

蔵物語 (旧フォトヴィレッジ 2007年6月17日掲載)
京都のお地蔵さんの多さは日々の「今京都」でも伝えているとおりだ。今回、さらに調べることができたのでリポートしておく。



地蔵盆の発祥の地は間違いなく京都なんだけれど、今日のように子ども行事になったのは明治以降のことみたい。江戸時代は「仏像の前に通夜して酒盛りあそべり…」と『覇旅録(きりょまんろく)』にあるように、大人が中心となって楽しむものであったことがうかがえる。他にも江戸時代の記録には醍醐(だいご)の地蔵会(じぞうえ)では市(いち)が立ち、常盤(ときわ)の里では書相撲、深泥池(みどろがいけ)では夜相撲が催されたなどがある。さらに江戸末期の京都では、町組(ちょうぐみ)の境となる木戸ごとにお地蔵さんが祀られていたそうだから、その数の多さは想像できる。しかし、そんなお地蔵さんにも受難の時代があった。



その受難とは、明治維新の神仏分離令である。1871(明治4)年から翌年にかけて、京都府から「地蔵取除(とりのぞき)令」「祭祀(さいし)禁止令」が出され、町中の地蔵やお堂が処分され、お盆の施餓鬼も送り火も、盆踊りも地蔵盆も禁止された。また石地蔵が集められ、石垣や小学校建築の柱石に転用された例は多いという。それでも人々は町のお地蔵さんをお寺に預けたり、地中に埋めたり、井戸の中に避難させたり、また町年寄りが自宅内にかくまったりして、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)のほとぼりが過ぎるのを待った。この禁令は数年後にはゆるみ、徐々に復活するのだが、この約10年の空白をはさんで、江戸時代と明治時代以降の地蔵盆が性格を変えたのではないかと仮定されている。



また、ある調査によると下鴨・葵の両学区において確認できた地蔵堂や祠(ほこら)は計46箇所。そのうち平安期のものと見られる歴史的なものが2箇所。それ以外で最古の安置は明治初期と見られるものが3箇所、大正期が2箇所。時期不明のものもあるが、その他の30箇所は昭和の時代に祀られたものだという。もともとは信仰のための地蔵だったものが、昭和のころから次第に地蔵盆のために祀っておく地蔵に変遷していったともいわれている。



さらに下鴨学区でいえば1955(昭和30)年頃までは、およそ一町に1箇所のお地蔵さんがあったが、それ以降は宅地化が進んでもお地蔵さんが置かれておらず、むしろ土地の処分でお地蔵さんの行き場所がなくなったり、管理する人がいなくなって撤去されることもあるという。宅地化が進むとともに自治会の崩壊が始まり、お地蔵さんを世話する信仰心のある人々が減ってくるという社会現象だ。それにしても下鴨・葵の両学区はまだ街撮りに行っていない地区だけれど、そこでも46箇所はあるということだから、この地蔵物語はどれだけ続くのだろう? と、少し気が遠くなるが、いきつくところまでいきたいと思う…今京都。 ※写真は京都の街並みで本文とは関係ないのであしからず。
★関連記事はここ(←クリック)とここ(←クリック)


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと あめさん 2009/07/20 12:00 am

めさん
飴。食べ物にも「サン」を付ける。芋を「オ芋サン」と「オ〜サン」を付けて丁寧にいう。粥を「オかいサン」、豆を「オ豆サン」、揚げ豆腐を「オあげサン」、卵を「オたまサン」 飴は母音アで始まり「オあめサン」と言いにくいのでアメサンである。しかし、昔は京都御所では「鮎」に「御」をつけて「御鮎」の表記が多く見られた。アメサンをアメチャンというのはより親愛の気持ちが移ったのであろう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

方山話(67) ちょっと気になる「ことば」の話
っていうか



A K子、来るんだろうか?
B うーん、っていうかちょっとこれ見て、変だよ、これ。
AはK子が来るかどうかを気にしている、しかし、Bは別のことに夢中。こんな「っていうか」の使い方は確かに気になる。
本来「っていうか」は「XっていうかYっていうか」のように自分の言葉をあれこれ吟味してよりよい表現を探すときに用いるものだ。
A 朝ご飯もみんないっしょだったんだ。
B うん、なんか、こう陽気に食べるっていうか、楽しく食べるみたいな、そんな感じだった。
のように本来は自分の言葉を吟味する表現である。
A 今までに習った助動詞なんて覚えてないさ。
B 覚えてない、っていうか今まで習った助動詞なんてあんのかよって感じだよ。
この場合、言葉を吟味しているというより、相手とは言いたい内容が異なっているということ、つまり「あなたの言いたいことはともかく、私の言うことを聞いて」という気持ちを表している。このように、最近では言葉を吟味するという用法からズレた言い方が多く使われるようになってきた。



冒頭の会話は、上の空のBはAの話を聞いているのやらいないのやら、軽く受け流して自分が気になることに話をもっていってしまう。このような使い方が最近の若年層に増えてきているという。
話題を転換したいのなら「それより」や「ところで」を使えばいい。そうすれば話題を転換することがはっきり伝わる。それを避けて「っていうか」を使う背景にはその明瞭さを嫌う気分があるのかもしれない。ふと思いついたことを相手に配慮することなく気ままに述べるという気安さが感じられる。このような使い方に対して「子どもっぽい」とか「教養がない」という感じを受ける人は少なくない。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

話題転換の「っていうか」にしても、断定を避ける「っていうか」にしても、仲間うちのくだけた会話で気楽に話をするときに用いるものだ。その限りで使っていれば問題ないのかもしれないが、ひとつ間違えると相手に悪い印象を与えてしまう。使うのならそのあたりのことをきちんとわきまえて使いたいものだ…と、天を仰いで思うこと。
★前回のちょっと気になる「ことば」の話はここ(←クリック)


 

このエントリーの情報

ページナビゲーション

« 1 ... 290 291 292 (293) 294 295 296 ... 412 »

 
     
お願い
画像等の著作権は、所有者または撮影者に帰属しています
画像等の無断転用は、固くお断りします
------------------------------
← に掲載以外の写真等は
もっと今京都
↓ ↓ ↓

------------------------------
《LINK》


XP canon


photocon

------------------------------
《ポチッとお願い》

にほんブログ村 写真ブログ 京都風景写真へ

にほんブログ村 写真ブログ 野鳥写真へ

にほんブログ村 写真ブログへ



PV Access Ranking
にほんブログ村

------------------------------
copyright Tsuwano
Screen Project

スズメ(rrbphoto)
ランダムスクロール
(表示30枚/全枚)
こんな1枚

シジュウカラ


ヒヨドリ


絵馬に願いを


手水舎


千本鳥居


幸せを感じるとき


哲学の道


影絵

pagetop