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天を仰いで思うこと あかん 2009/08/03 12:00 am
あかん
だめだ。効果がない。役に立たない。いけない。「そんなとこで遊んだらアカンがな」 江戸時代から使い始めた。「埒(らち)あかぬ」を略してアカンと言った。「アクかアカンかやって見んとわからへん」のように肯定のアクと、否定のアカンを併用したり、「アクもんか」と反語形式で用いたりする。アカヘンともいう。丁寧に「アキマヘン」「アカシマヘン」とも。「アカンタレ」は弱虫、だめなやつ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(71) ちょっと気になる「ことば」の話
わたし的にはOKです

この言い方は行き過ぎだと感じる人が多いというが、近頃では随分頻繁に耳にするようになった。「わたし的」を言い換えれば「私としては」となるが、この表現は「他の人はともかく、自分はこう考える」という気持ちを表す。他の人の別の意見があることを認めた上で自分の意見を述べるという述べ方であるから、一見思慮深い述べ方のように思われるが、その陰にはストレートに自分の意見を言おうとしない「逃げ」の姿勢が感じられるという。
「わたし的」に類する表現としては「気持ち的には若いつもり」「暮らし的には変わりない」「仕事的には楽しい」などがある。「気持ちの上では」「暮らしについては」「仕事に関しては」のように、以下に述べることがらの範囲を限定するという意味を表わすものだから、まだ十分に自然なものとしては受け入れられていない表現である。以上は「〜に関する」「〜についての」のような意味を表わす「的」の用法から拡張して用いられているが、「的」にはもうひとつ「そのものズバリではないが、それに似ている」「そのような性質を帯びている」という意味がある。

「動物的な感性」「女性的なしぐさ」などの言い方がそうである。最近ではそのような使い方の中にも多少不自然に感じられる言い方が増えてきているという。「普通の暮らし的な生活をしてみたい」「うわさ的な話を聞いた」「こども的な男は嫌い」などだ。その他に「今までのは全部うそ的なことを言われ」や「『嫌ならやめろ』的な考え」などのように、少々長い句に「的」がつく言い方もある。長い句につく言い方は明治時代にもあったそうだ。そのものズバリと言えばいいところをあいまいにしたり、人の言葉を借りて表現したりしているという感じはぬぐえない。「的」というのは元来は名刺について形容動詞を作る接尾語。多くは漢語につくが「メルヘン的」「マニュアル的」のように外来語の名詞を形容動詞に変える働きもする。しかし和語につくことはほとんどなく、逆引き辞典で調べても「ぬえ的」ぐらいしかない。「お金的には不自由しない」は許容できないが「金銭的には不自由しない」なら許容できると感じる人が多いだろう。この違いは和語か漢語かの違いによるものである。さらに本来は名詞につく語なのに、最近では「マニアック的」「乙女チック的」など形容動詞につく例も見られる。

(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
新型インフルエンザで中止になった神戸まつりのバレードが復活
このように「的」が流行る背景には、ものごとをはっきり言わないであいまいにぼかす最近の風潮が影響を及ぼしているものと思われる。それに加え、「的」を使えば厳密な表現を使い分けなくてもよいという便利さもある。「的」を使わないで表現するとなると「私としては」「気持ちの上では」「内容に関しては」「生活の点では」など、様々な表現を言い分けなければならない。しかし「的」を使うことによっていとも簡単にその煩雑さを回避できる。
「的」が持つこのような手軽さは、これからもさらに多くの「的」表現を生む可能性がある。話し手にとっては楽な表現であるが、聞き手には正しく伝わらない表現であることを自覚して、教育やマスコミの現場では安易な「的」表現を使わない・使わせないことをめざしたいものだ…と、天を仰いで思うこと。
★前回のちょっと気になる「ことば」の話はここ(←クリック)

だめだ。効果がない。役に立たない。いけない。「そんなとこで遊んだらアカンがな」 江戸時代から使い始めた。「埒(らち)あかぬ」を略してアカンと言った。「アクかアカンかやって見んとわからへん」のように肯定のアクと、否定のアカンを併用したり、「アクもんか」と反語形式で用いたりする。アカヘンともいう。丁寧に「アキマヘン」「アカシマヘン」とも。「アカンタレ」は弱虫、だめなやつ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(71) ちょっと気になる「ことば」の話
わたし的にはOKです

この言い方は行き過ぎだと感じる人が多いというが、近頃では随分頻繁に耳にするようになった。「わたし的」を言い換えれば「私としては」となるが、この表現は「他の人はともかく、自分はこう考える」という気持ちを表す。他の人の別の意見があることを認めた上で自分の意見を述べるという述べ方であるから、一見思慮深い述べ方のように思われるが、その陰にはストレートに自分の意見を言おうとしない「逃げ」の姿勢が感じられるという。
「わたし的」に類する表現としては「気持ち的には若いつもり」「暮らし的には変わりない」「仕事的には楽しい」などがある。「気持ちの上では」「暮らしについては」「仕事に関しては」のように、以下に述べることがらの範囲を限定するという意味を表わすものだから、まだ十分に自然なものとしては受け入れられていない表現である。以上は「〜に関する」「〜についての」のような意味を表わす「的」の用法から拡張して用いられているが、「的」にはもうひとつ「そのものズバリではないが、それに似ている」「そのような性質を帯びている」という意味がある。

「動物的な感性」「女性的なしぐさ」などの言い方がそうである。最近ではそのような使い方の中にも多少不自然に感じられる言い方が増えてきているという。「普通の暮らし的な生活をしてみたい」「うわさ的な話を聞いた」「こども的な男は嫌い」などだ。その他に「今までのは全部うそ的なことを言われ」や「『嫌ならやめろ』的な考え」などのように、少々長い句に「的」がつく言い方もある。長い句につく言い方は明治時代にもあったそうだ。そのものズバリと言えばいいところをあいまいにしたり、人の言葉を借りて表現したりしているという感じはぬぐえない。「的」というのは元来は名刺について形容動詞を作る接尾語。多くは漢語につくが「メルヘン的」「マニュアル的」のように外来語の名詞を形容動詞に変える働きもする。しかし和語につくことはほとんどなく、逆引き辞典で調べても「ぬえ的」ぐらいしかない。「お金的には不自由しない」は許容できないが「金銭的には不自由しない」なら許容できると感じる人が多いだろう。この違いは和語か漢語かの違いによるものである。さらに本来は名詞につく語なのに、最近では「マニアック的」「乙女チック的」など形容動詞につく例も見られる。

(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
新型インフルエンザで中止になった神戸まつりのバレードが復活
このように「的」が流行る背景には、ものごとをはっきり言わないであいまいにぼかす最近の風潮が影響を及ぼしているものと思われる。それに加え、「的」を使えば厳密な表現を使い分けなくてもよいという便利さもある。「的」を使わないで表現するとなると「私としては」「気持ちの上では」「内容に関しては」「生活の点では」など、様々な表現を言い分けなければならない。しかし「的」を使うことによっていとも簡単にその煩雑さを回避できる。
「的」が持つこのような手軽さは、これからもさらに多くの「的」表現を生む可能性がある。話し手にとっては楽な表現であるが、聞き手には正しく伝わらない表現であることを自覚して、教育やマスコミの現場では安易な「的」表現を使わない・使わせないことをめざしたいものだ…と、天を仰いで思うこと。
★前回のちょっと気になる「ことば」の話はここ(←クリック)


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今京都 あじもしゃしゃりもない 2009/08/02 12:00 am
あじもしゃしゃりもない
「あのお経はアジモシュシュリモナイ感じどしたな」 少しの味わいもない。シャシャリは「しゃしゃり出る」の意味から。厚かましく出しゃばるほどの味もないのは、そっけないということ。「アジケナイ」は「寂しい、物足りない」さまで、「部屋が暗いし、アジケナイなあ」 古語の「あづきなし」から。『万葉集』に「あづきなく相見始(あいみみそ)めてもわれは恋ふるか」と歌う。平安時代から「あぢきなし」となった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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羅漢



地蔵物語(271)


「あのお経はアジモシュシュリモナイ感じどしたな」 少しの味わいもない。シャシャリは「しゃしゃり出る」の意味から。厚かましく出しゃばるほどの味もないのは、そっけないということ。「アジケナイ」は「寂しい、物足りない」さまで、「部屋が暗いし、アジケナイなあ」 古語の「あづきなし」から。『万葉集』に「あづきなく相見始(あいみみそ)めてもわれは恋ふるか」と歌う。平安時代から「あぢきなし」となった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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羅漢



地蔵物語(271)



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今京都 はばかりさん 2009/08/01 12:00 am
はばかりさん
ご苦労さん。ありがとう。「おおきにハバカリサン」 恐れ慎むという意の「憚る」から。気兼ねする意味が恐縮するということになり、ご苦労さんの意味になった。人に少し世話になったときに使う。ハバカリだけでも江戸時代には、恐縮、ご苦労の意味があったが、ハバカリサンということが多い。便所を指すときにも使う。「ちょっと待っておくれやす。ハバカリ(サン)に行ってきますよって」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
葉月、今日から8月。昨日、四国地方が梅雨明けをしたとみられると気象庁が発表した。平年より14日遅く、昨年より25日遅いという。近畿地方の梅雨明けはいつになるのだろう?
桂川の怪/得体の知れん恐ろしいもん (旧フォトヴィレッジ 2007年9月11日掲載)

およそ大河という川には何やら怪しい物語がいくつかはあるものである。観光客でにぎわう嵐山の桂川にも怪しげな物語がある。「桂川の怪」とでもいうべきか…。

そのお話とは、
雨降りの前後は、桂川のそばへ寄ったらあかん。もやがかかり、「得体の知れん恐ろしいもん」が出る
というものである。戦時中、祖父母からこんな話を寝る前に聞いたという方もおり、今も信じているという。また「得体の知れん恐ろしいもん」を渡月橋付近の中州で目撃した人もいるという。橋のたもとは昔は子どもたちの水遊びの場所だった。だが、薄暗い雲が空に広がり始めると不安になり、みんなで近くの店や寺へ一目散に逃げたという。「得体の知れん恐ろしいもん」にさらわれるんじゃないかとそういう行動にでたのだろう。「得体の知れん恐ろしいもん」とは何だろう。俄然、興味津々。約200年前の江戸後期、「洪水時の桂川に正体不明のものが現れる」と、馬にかまれても田に落ちても書物を離さないほどの読書家で知られる学者の橋本経亮(1755〜1805)が書き残していると教えて貰った。

橋本氏が1801年に著した随筆集「橘窓自語」3巻の記述を要約すれば、
波打つような桂川の濁流とともに、何かが亀岡方面から梅津辺りまで下る。やがて水が引くと上流へ戻る。牛に似たような背中だけ見えるが、顔かたちは誰も確認できていない。
というもの。併せて橋本氏は、戦国時代の湖国(滋賀県)でも野洲川の洪水時に、牛のようなものが川からはい出て、黒い雲に包まれて空に上がったという珍事に触れ、両者は同類だろうと推測している。

「得体の知れん恐ろしいもん」とは、また、橋本氏の書いた牛のようなものは、「恐ろしい洪水の象徴」ではないかと想像が駆け巡る。以前の桂川は何度も荒れているというし、川沿いの住民はその度に避難もしているという。怪獣が下流から上流へ戻るイメージと、雨がやみ、水かさがあっという間に下がる光景がぴったり重なるような気がする。波打つ流れを表現するなら、カッパより牛の背中が当てはまるとも思える。桂川は水害や治水、利水の歴史を紡いできている。洪水の心配の減った川しか知らない世代がこの伝説を受け止めるのは難しいかも知れないね。でも、こういう伝説が忘れられるのは自然と人、人と人とのきずなが失われることと話し、川の楽しさや厳しさを学び合う機会を増やしたいと考えている地元住民も少なくないというからまだ安心。

今日も桂川で遊ぶ子どもや趣味に没頭する方、散歩する仲良しなどの光景が当たり前のように展開されている。この中にこの伝説を知っている方は何人いるのだろうと、優しい川の流れを見ながらふっと思った桂川…今京都。

ご苦労さん。ありがとう。「おおきにハバカリサン」 恐れ慎むという意の「憚る」から。気兼ねする意味が恐縮するということになり、ご苦労さんの意味になった。人に少し世話になったときに使う。ハバカリだけでも江戸時代には、恐縮、ご苦労の意味があったが、ハバカリサンということが多い。便所を指すときにも使う。「ちょっと待っておくれやす。ハバカリ(サン)に行ってきますよって」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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葉月、今日から8月。昨日、四国地方が梅雨明けをしたとみられると気象庁が発表した。平年より14日遅く、昨年より25日遅いという。近畿地方の梅雨明けはいつになるのだろう?
桂川の怪/得体の知れん恐ろしいもん (旧フォトヴィレッジ 2007年9月11日掲載)

およそ大河という川には何やら怪しい物語がいくつかはあるものである。観光客でにぎわう嵐山の桂川にも怪しげな物語がある。「桂川の怪」とでもいうべきか…。

そのお話とは、
雨降りの前後は、桂川のそばへ寄ったらあかん。もやがかかり、「得体の知れん恐ろしいもん」が出る
というものである。戦時中、祖父母からこんな話を寝る前に聞いたという方もおり、今も信じているという。また「得体の知れん恐ろしいもん」を渡月橋付近の中州で目撃した人もいるという。橋のたもとは昔は子どもたちの水遊びの場所だった。だが、薄暗い雲が空に広がり始めると不安になり、みんなで近くの店や寺へ一目散に逃げたという。「得体の知れん恐ろしいもん」にさらわれるんじゃないかとそういう行動にでたのだろう。「得体の知れん恐ろしいもん」とは何だろう。俄然、興味津々。約200年前の江戸後期、「洪水時の桂川に正体不明のものが現れる」と、馬にかまれても田に落ちても書物を離さないほどの読書家で知られる学者の橋本経亮(1755〜1805)が書き残していると教えて貰った。

橋本氏が1801年に著した随筆集「橘窓自語」3巻の記述を要約すれば、
波打つような桂川の濁流とともに、何かが亀岡方面から梅津辺りまで下る。やがて水が引くと上流へ戻る。牛に似たような背中だけ見えるが、顔かたちは誰も確認できていない。
というもの。併せて橋本氏は、戦国時代の湖国(滋賀県)でも野洲川の洪水時に、牛のようなものが川からはい出て、黒い雲に包まれて空に上がったという珍事に触れ、両者は同類だろうと推測している。

「得体の知れん恐ろしいもん」とは、また、橋本氏の書いた牛のようなものは、「恐ろしい洪水の象徴」ではないかと想像が駆け巡る。以前の桂川は何度も荒れているというし、川沿いの住民はその度に避難もしているという。怪獣が下流から上流へ戻るイメージと、雨がやみ、水かさがあっという間に下がる光景がぴったり重なるような気がする。波打つ流れを表現するなら、カッパより牛の背中が当てはまるとも思える。桂川は水害や治水、利水の歴史を紡いできている。洪水の心配の減った川しか知らない世代がこの伝説を受け止めるのは難しいかも知れないね。でも、こういう伝説が忘れられるのは自然と人、人と人とのきずなが失われることと話し、川の楽しさや厳しさを学び合う機会を増やしたいと考えている地元住民も少なくないというからまだ安心。

今日も桂川で遊ぶ子どもや趣味に没頭する方、散歩する仲良しなどの光景が当たり前のように展開されている。この中にこの伝説を知っている方は何人いるのだろうと、優しい川の流れを見ながらふっと思った桂川…今京都。


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天を仰いで思うこと すってのとこ 2009/07/31 12:00 am
すってのとこ
「スッテノトコで新幹線に乗り遅れるとこやった」 もう少しのところでということ。スッテンデともいう。スッテンは、既にの意味。スデを強めてスッテ・スンデとなり、スッテノコトニ・スッテントとも。「そんなことスッテント忘れてた」「コロット忘れた」のコロットは、コロリトの変化したもの。トントは、すっかりの意で、否定の語を下に伴って、「トント覚えてしまへんわ」と言う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(70) きょうの京
7月31日は祇園祭 疫神社夏越祭

いよいよ祇園祭の最終行事。八坂神社西楼門を入ってすぐのところに建つ疫神社は、八坂神社摂社で蘇民将来を祭神とする。鳥居に直径2mの茅の輪がすえられ、夏越の祓、茅の輪くぐりをする。多くの神社では6月30日の行事であるが、疫神社では月送りの7月にとりおこなう。「本日をもって祇園祭のすべてを終了とし」という神職の奉告がなされ、関係者や役員の参拝ののち、一般の人も茅の輪をくぐり、「蘇民将来之子孫也」と書かれた護符を受ける。

また、31日は愛宕神社の千日詣でもある。31日の夜から8月1日にかけて「火伏せの神」を祀る愛宕神社に参拝すると、千日分のご利益があるとされ、多くの人が神社をめざす。
しかし「伊勢に七たび、熊野へ三たび、愛宕さんへは月詣り」と謳われるものの、標高924mの愛宕山山頂に建つ愛宕神社への道はふだん運動をしない人にとっては苦行に近いかもしれない。
それでも三歳までの子どもが詣でると一生火難から免れるとされるため、小さい子をつれて灯りに照らされた約5.5kmの登山道をゆく親子連れも目立つ。
午後9時から夕御饌祭(ゆうみけさい)、午前2時から朝御饌祭をいとなむ。夜は風が出て、夏とは思えないほど気温が下がる。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
新型インフルエンザで中止になった神戸まつりのバレードが復活
こうして、京都の7月は過ぎていく。明日からは、地蔵盆がある8月だ。さらに暑い京都の夏がやってくる…と、天を仰いで思うこと。
★前回の「きょうの京」はここ(←クリック)

「スッテノトコで新幹線に乗り遅れるとこやった」 もう少しのところでということ。スッテンデともいう。スッテンは、既にの意味。スデを強めてスッテ・スンデとなり、スッテノコトニ・スッテントとも。「そんなことスッテント忘れてた」「コロット忘れた」のコロットは、コロリトの変化したもの。トントは、すっかりの意で、否定の語を下に伴って、「トント覚えてしまへんわ」と言う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(70) きょうの京
7月31日は祇園祭 疫神社夏越祭

いよいよ祇園祭の最終行事。八坂神社西楼門を入ってすぐのところに建つ疫神社は、八坂神社摂社で蘇民将来を祭神とする。鳥居に直径2mの茅の輪がすえられ、夏越の祓、茅の輪くぐりをする。多くの神社では6月30日の行事であるが、疫神社では月送りの7月にとりおこなう。「本日をもって祇園祭のすべてを終了とし」という神職の奉告がなされ、関係者や役員の参拝ののち、一般の人も茅の輪をくぐり、「蘇民将来之子孫也」と書かれた護符を受ける。

また、31日は愛宕神社の千日詣でもある。31日の夜から8月1日にかけて「火伏せの神」を祀る愛宕神社に参拝すると、千日分のご利益があるとされ、多くの人が神社をめざす。
しかし「伊勢に七たび、熊野へ三たび、愛宕さんへは月詣り」と謳われるものの、標高924mの愛宕山山頂に建つ愛宕神社への道はふだん運動をしない人にとっては苦行に近いかもしれない。
それでも三歳までの子どもが詣でると一生火難から免れるとされるため、小さい子をつれて灯りに照らされた約5.5kmの登山道をゆく親子連れも目立つ。
午後9時から夕御饌祭(ゆうみけさい)、午前2時から朝御饌祭をいとなむ。夜は風が出て、夏とは思えないほど気温が下がる。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
新型インフルエンザで中止になった神戸まつりのバレードが復活
こうして、京都の7月は過ぎていく。明日からは、地蔵盆がある8月だ。さらに暑い京都の夏がやってくる…と、天を仰いで思うこと。
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今京都 すぼっこな 2009/07/30 12:00 am
すぼっこな
無愛想な、あっさりした、堅苦しくなくの意。「あの店には、スボッコナ娘がいる」 スボッコイは気前がよいの意味で、ボッコは古語のヲコ(馬鹿)から転じた。接頭語スを付け、抜かりなく行動するさまをいう。ヲコから、鎌倉時代にアホやバカができた。スボッコナは、気性が激しく、他人の顔色など気にしないことから、無愛想なの意になった。「アホ、バカ、スボケ」とはやすが、スボケはボケルに基づく。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
一条通「妖怪ストリート」 (旧フォトヴィレッジ 2007年6月21日掲載)
一条通は京都御苑から西大路通まで約2.5kmにわたり、幅6mほどの道がまっすぐ伸びる。東から歩けば学校や官公庁があり、時折、機音の聞こえる京町家の家並みや商店街を通る。人々の暮らしがさまざまな形で息づく落ち着いた通り。その通りを「妖怪ストリート」として地域を盛り上げる試みがされている。


そもそも平安時代の一条は平安京の北端であり、官庁街の大内裏に面して、京の街の内と外の境目にあった。怪しげな「百鬼夜行」の行き交った伝説があると聞くと、その歴史の深みがさらに感じられる。平安末期の「今昔物語」には、大みそかの夜に一条堀川の橋(一条戻橋)を渡っていた侍が、灯を持った鬼の集団に出会い、人から見えない透明人間に変えられてしまうという一節がある。「宇治拾遺物語」には、一条大路の建物に女性と泊まった男性が夜、馬の顔をした大きな鬼に出くわす話が出てくる。さらに、室町時代の「付喪神記」は、捨てられた古道具たちが人間に仕返しするため変身し、祭礼で一条大路を東へ行列する。しかし、関白の一行にやっつけられる筋書きがある。


こうした文献の研究から、傘や木づち、楽器、鍋などが化けたユーモラスな妖怪の姿で知られる「百鬼夜行絵巻」と「付喪神」を関連付け催されているという「妖怪ストリート」。各お店の前には手作りの妖怪が並び道行く人を見つめている。このイベントは実にユニークであり、楽しいものだ。かつて繁華だった通りが時代とともに寂れてしまった都の北面の一条大路に、後の人々が幻視したイメージをかぶらせており、室町時代に盛んになった職人の生産と、今なら「もったいないおばけ」といえる捨てられた器物の恨みも関連させているのかも知れない。


この通りには平安京の北西端を守る方位の神をまつる大将軍八神社がある。「大江山や愛宕山…都の北西は鬼の入り口。昔の人は特に気になっていた」という伝承を今風にアレンジして、神社近くの大将軍商店街振興組合(26店舗)は数年前から、夜に怪談を聞く催しをしたり、妖怪の仮装行列で地域を盛り上げているという。


妖怪のオブジェを店頭に飾り道行く人を楽しませている。町興しに携わる大将軍商店街振興組合の方々は「捨てたら化けるという昔の人のエコロジーの発想は今に通じる」と、時代を超えて人の心を引き付ける妖怪の魅力を語っているという。決して派手ではないけれど、「ものを大切にする心」を後世まで伝えて欲しいイベントであることには違いない…今京都。

無愛想な、あっさりした、堅苦しくなくの意。「あの店には、スボッコナ娘がいる」 スボッコイは気前がよいの意味で、ボッコは古語のヲコ(馬鹿)から転じた。接頭語スを付け、抜かりなく行動するさまをいう。ヲコから、鎌倉時代にアホやバカができた。スボッコナは、気性が激しく、他人の顔色など気にしないことから、無愛想なの意になった。「アホ、バカ、スボケ」とはやすが、スボケはボケルに基づく。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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一条通「妖怪ストリート」 (旧フォトヴィレッジ 2007年6月21日掲載)
一条通は京都御苑から西大路通まで約2.5kmにわたり、幅6mほどの道がまっすぐ伸びる。東から歩けば学校や官公庁があり、時折、機音の聞こえる京町家の家並みや商店街を通る。人々の暮らしがさまざまな形で息づく落ち着いた通り。その通りを「妖怪ストリート」として地域を盛り上げる試みがされている。


そもそも平安時代の一条は平安京の北端であり、官庁街の大内裏に面して、京の街の内と外の境目にあった。怪しげな「百鬼夜行」の行き交った伝説があると聞くと、その歴史の深みがさらに感じられる。平安末期の「今昔物語」には、大みそかの夜に一条堀川の橋(一条戻橋)を渡っていた侍が、灯を持った鬼の集団に出会い、人から見えない透明人間に変えられてしまうという一節がある。「宇治拾遺物語」には、一条大路の建物に女性と泊まった男性が夜、馬の顔をした大きな鬼に出くわす話が出てくる。さらに、室町時代の「付喪神記」は、捨てられた古道具たちが人間に仕返しするため変身し、祭礼で一条大路を東へ行列する。しかし、関白の一行にやっつけられる筋書きがある。


こうした文献の研究から、傘や木づち、楽器、鍋などが化けたユーモラスな妖怪の姿で知られる「百鬼夜行絵巻」と「付喪神」を関連付け催されているという「妖怪ストリート」。各お店の前には手作りの妖怪が並び道行く人を見つめている。このイベントは実にユニークであり、楽しいものだ。かつて繁華だった通りが時代とともに寂れてしまった都の北面の一条大路に、後の人々が幻視したイメージをかぶらせており、室町時代に盛んになった職人の生産と、今なら「もったいないおばけ」といえる捨てられた器物の恨みも関連させているのかも知れない。


この通りには平安京の北西端を守る方位の神をまつる大将軍八神社がある。「大江山や愛宕山…都の北西は鬼の入り口。昔の人は特に気になっていた」という伝承を今風にアレンジして、神社近くの大将軍商店街振興組合(26店舗)は数年前から、夜に怪談を聞く催しをしたり、妖怪の仮装行列で地域を盛り上げているという。


妖怪のオブジェを店頭に飾り道行く人を楽しませている。町興しに携わる大将軍商店街振興組合の方々は「捨てたら化けるという昔の人のエコロジーの発想は今に通じる」と、時代を超えて人の心を引き付ける妖怪の魅力を語っているという。決して派手ではないけれど、「ものを大切にする心」を後世まで伝えて欲しいイベントであることには違いない…今京都。

