ID : Pass :  | register
フォトヴィレッジ
(rrbのブログ)
上手い下手は関係なし
感じたままの気ままな
写真と言葉を掲載
*画像は全てリサイズ済*
 
------------------------------
《写真カテゴリ》
*
京都の町の
そぞろ歩きは
今京都
* *
スズメさんで
天を仰いで思うこと
* * *
四方山話は
おやかまっさん
* * * *
京都以外の町で
足の赴くままは
◆◆なう
------------------------------
色々とチャレンジする
rrbのブログ
フォトヴィレッジ




Photographer affectation
Delivered from Kyoto
Since 2006/4/25
Since 2007/12/9
(Renewal Start)
Copyright (C) 2006
www.rrbphotovillage.jp
All Rights Reserved
カレンダー
« « 2025 7月 » »
29 30 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 1 2
ご案内
今京都記事一覧
京ことば記事一覧
京が語源記事一覧
天を仰いで記事一覧
・スズメの写真
------------------------------
アクセスカウンタは
不具合のため
運用停止中
2017/9/27
過去ログ
     

rrbのブログ - rrbさんのエントリ

ヘッダーナビゲーション

現在のカテゴリー位置

サイト全体のカテゴリーナビゲーション

今京都 こめんじゃこ 2009/08/13 12:00 am

めんじゃこ
「この池にコメンジャコがいっぱいいるわ」 メダカのことをいう。メダカは目が体のわりに大きい。「雑魚」に「目」を付けて「目雑魚」とし、接頭語「コ」をつけた。コマンジャコ・ゴメンジャコとも呼ぶ。ウスキ・ウキンタ・オキンタともいうのは、メダカが群れをなして水面に「浮く」さまから名付けた。雑魚や小さい子どものことをも指す。「コマンジャコのくせして生意気な」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

西陣五水/染殿井(そめどののい) (旧フォトヴィレッジ 2007年8月13日掲載)
染織の美と技を受け継ぐ西陣。昔ながらの姿をとどめる地域に五つの井戸「西陣五水」が伝わる。いずれも建造時期は不明だが、平安時代から応仁の乱までの名所旧跡を記した「中古京師内外地図」で井戸があった4ヶ所の寺院や邸宅が確認できる。京都市上京区上立売通智恵光院聖天町の真言宗雨宝院の境内には、五水の一つ「染殿井」が残る。今も水がわくこの井戸は「染め物がよく染まる」と西陣の職人たちが重宝したといわれる。





西陣聖天として知られる同院は、821(弘仁12)年に嵯峨天皇の病気平癒を祈願し、弘法大師が大聖歓喜天像を安置したのが始まりとされる。応仁の乱で堂塔が荒廃した後、雨宝院だけが現在の地に再興された。染殿井は「どんなに日照りが続いても枯れることなくこんこんとわく」と、代々地域で語り継がれた。現在は清めの手洗い用などに使うだけだが、以前は染め物業者さんが容器を手に訪れたこともあるという。西陣の地下水は本当に染色に適していたのかというと、染色には鉄分の少ない水でないとあでやかな色が出ないらしい。洛中の水は軟水で染め物に向いているという。





江戸末期の創業以来、自家用の井戸水を使っている染工場もある。手作業による糸の精練技術を守り続ける工場によると、「精錬は染めより硬度成分の影響を受けやすい。けど何より大量の水を使う染色業には豊富な水量は一番の恵み」ということだ。雨宝院の南に隣接する本隆寺の千代野井にも伝説がある。同寺によると1730(享保15)年の大火の時。異様な容姿の女性がどこからか現れ、本堂前の千代野井の水で防火したため同寺は災いを免れたという。



五水は西陣地区の智恵光院通を軸に南北400mほどの間に並ぶ。安居井(あぐい)と鹿子(かのこ)井は一般公開されていない。首途(かどで)八幡宮の社務所内にあったとされる桜井は、本隆寺南側の桜井公園に模造されている。京都三名水のような知名度はないが、西陣の歴史や生活文化、産業をはぐくんだ水の貴重なシンボルには違いない…今京都。


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと いっち 2009/08/12 12:00 am

っち
「そのようにするのがイッチええわ」「イッチええもん買うてんか」 最も。いちばん。いち(一・逸)を強調したもの。『史記抄』に「士卒のいっち賎しい者と同様に衣食して」とある。『東海道中膝栗毛』には「此の紫素(しそ)の実がいっちうめえ(うまい)」と。イッチハジメは、最初の意。イチハナダツは「一端立つ」で、先頭に立つ、真っ先に行う意味。「いつもあの人はイチハナダッテ仕事しやはる」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

方山話(73)
見せパンツに思うこと



若い世代の男女で流行っている見せパンツ。そのことについて、おもしろい調査結果を教えてもらった。内容は「見せパンツをしている女性」と「それをじっと見ている男性」、どっちに嫌悪感を覚えるか…ということを、20代、30代、40代、50代、60代のそれぞれ男女50人の合計500人を対象にアンケート調査をしたもの。
結論からいうと、「見せパンツをしている女性」に嫌悪感を覚えるというものだった。20代は、 68対32 で「それをじっと見ている男性」に嫌悪感を覚えるというものだったが、それ以外の世代では、圧倒的に「見せパンツをしている女性」に嫌悪感を覚えるという結果だった。つまり、全体の比率では 78対22 で「見せパンツ」には否定的となった。



「見せパンツ」をしている男女が多くなったという印象があったが、この調査結果からすると、さほど多い人数がしているわけでもなさそうだ。ファッションの流行には、それを寛容できるものとできないものがあり、「見せパンツ」は寛容できないファッションだということか。その他に「パンツで許せないことは…」では、下着のラインが出ているパンツルックや下着が透けて見えるスカートの着用に対して、否定的な意見が多い(64対36)のが印象に残る。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

しかし、同じアンケートでも「ブラジャー」となると内容が変わってくる。ブラジャーに関しては、肯定・否定の比率が「見せパンツ」ほど差がない。53対47で肯定に軍配。
つまり、ブラジャーに関しては、ラインが出ていようが、見えていようが構わない、という結論だという。下半身と上半身でこうも結果が違うのか…と驚きである。なるべくラインはでないように気をつかうところにいいところがあると思っていたが、世論はそうではないということか。
いずれにしても、パンツはダメでブラジャーはよい。このあたりの心理の違いはどこにあるのだろう。一度、調べてみたいという気にもなるが、さてさて、その調べ方はどのようにしたら…と、天を仰いで思うこと。


 

このエントリーの情報

今京都 じょろくむ 2009/08/11 12:00 am

ょろくむ
あぐらをかく。「このごろは、おなごはん(女性)かて、ジョロクマはりますな」 ジョロは丈六居(じょうろくい)からという。丈六居は一丈六尺の仏像のことであぐらの座像。江戸時代の京ことばを記した安原貞室の『片言(かたこと)』には「安坐し給へといふことを、じょうらくかきたまへていふこと葉は、仏の丈六の像の膝をくみおはする様より出たるか」とある。あぐらは、ア(足)グラ(座、倉)の意味からであろう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

霊子育飴 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月23日掲載)
一粒、口に放り込む。徐々に溶け出すと、柔らかい甘みが口いっぱいに広がる。甘すぎず、ほのかに懐かしい味。先日の六道珍皇寺門前で400年余り前から売られている麦芽糖の飴、「幽霊子育飴」。



話は1599(慶長4)年にさかのぼる。夜な夜な若い女性が飴を買いに来る。不審に思った飴屋の主人が後をつけると、鳥辺山の墓地で姿を消す。翌日、寺の住職と一緒に墓地に向かうと、盛り土の中から赤子の声が。あわてて掘り返すと、女性の遺体の横で赤子が飴をしゃぶっていた。その赤子は8歳で僧となり母の菩提(ぼだい)を弔い、1666(寛文6)年3月15日、高名な僧として68歳で亡くなった、というもの。





飴を販売する「みなとや幽霊子育飴本舗」は、後継者難などから委託販売を続けていたが、2006年末に少し西の西福寺門前に移転したという。「幽霊」という看板に興味をそそられ買い求める人、お腹のお子に与えるためか、探して訪れる妊婦さんもいるという。お店では修学旅行生らにも話を聞かせ「お母さんを泣かしたらあかんよ」とクギをさして販売するとのこと。



子を思う母の愛情の偉大さを物語るお話。母が子を殺すような今の時代にこそ、大切にされるべきだと思う。平安時代以来の葬送の地、鳥辺山のふもとにあり、現世と冥界との境域とされた「六道の辻」。飴は滋養のある食べ物。墓の近くで、飴を与えて子育てした母親がいたのかもしれない。ある程度、史実に基づいた話ではないかとの推測もあり、同様の話は京都市内でも数カ所にあるという。いずれにしても、死が身近だった殺伐とした時代を思わせるが心に染み入る母の愛のお話。一口含んだ飴に劣らず、味わい深いお話…今京都。


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと おしきせ 2009/08/10 12:00 am

しきせ
お仕着せ。盆や暮れになると、商家の主人が奉公人に与えた着物のことであった。従業員はお仕着せを着て実家へ帰る薮入りの習慣があった。月の一日と十五日に、酒一本つけ奉公人に与えることもいうようになった。「オシキセよばれてます」と。晩酌のこともいう。「オシキセは一合に決めている」 自分の意志に反し他人から一方的に押し付けられることの意味に広まった。「オシキセガマシイことで困ります」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

のネタ雑学(47)
人間の眠りは生物時計が支える?



生物には、それぞれ体の中に生物時計というものがあって、それでいろいろな活動をしていることがわかってきた。人間も例外ではないという。



外からの光や音が入らない、時間のまったくわからない部屋(電気は自由に使え、温度は一定、風呂や台所も備えている部屋)で、被験者を3〜4週間生活をさせ、その間の睡眠、体温、尿の排出量、尿中のカリウムとカルシウムの量を調べたところ、約24〜25時間の日周性があることがわかった。さらに、夜になると、活動力を示すノルアドレナリンというホルモンの分泌が少なくなって眠くなり、間脳から出される交感神経も衰える。そのほか、さまざまな器官が眠りの体勢に入るという。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

日周性をコントロールするのは、脳の中の松果腺の働きのようで、外国へ行ったときに起こる時差ボケを直すのも松果腺によるもの。眠りをはじめとする人間の生活は、このような生物時計によって支配されているという話。生物時計はわかりやすく体内時計とか表現されている。体内時計を狂わさないように規則正しい生活に心がけたい…と、天を仰いで思うこと。
★前回はここ(←クリック)


 

このエントリーの情報

今京都 ぐじ 2009/08/09 12:00 am


甘鯛(あまだい)。「グジの焼いたん食べるか」 江戸時代には京都ではグジ、大阪ではアマダイまたはクズナと言った。「具慈」の字を当てる。京丹後市や伊根町ではクジという。甘鯛の骨は堅くて鋭い。「グジの骨、気(きー)つけや」「ネラミダイ(にらみ鯛)」というと、正月三か日に祝い膳に飾る大きい塩鯛。じっと見つめるだけで箸がつけられない鯛の意味。正月二十日に塩抜きにして餡かけとして食べた。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。










蔵物語(272)




 

このエントリーの情報

ページナビゲーション

« 1 ... 286 287 288 (289) 290 291 292 ... 412 »

 
     
お願い
画像等の著作権は、所有者または撮影者に帰属しています
画像等の無断転用は、固くお断りします
------------------------------
← に掲載以外の写真等は
もっと今京都
↓ ↓ ↓

------------------------------
《LINK》


XP canon


photocon

------------------------------
《ポチッとお願い》

にほんブログ村 写真ブログ 京都風景写真へ

にほんブログ村 写真ブログ 野鳥写真へ

にほんブログ村 写真ブログへ



PV Access Ranking
にほんブログ村

------------------------------
copyright Tsuwano
Screen Project

スズメ(rrbphoto)
ランダムスクロール
(表示30枚/全枚)
こんな1枚

シジュウカラ


ヒヨドリ


絵馬に願いを


手水舎


千本鳥居


幸せを感じるとき


哲学の道


影絵

pagetop