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今京都 えげつない 2009/08/18 12:00 am

げつない
「エゲツナイこと言わはるな」 あくどい、しんらつな、露骨なの意味がある。「その服、エゲツナイ色や」といえば、毒々しく濃厚なの意。江戸時代の「いげちなし」から。エグイと同系の語。エグイは、あくが強く喉を刺激する感じの「えぐし」からで、里芋・ズイキ・クワイ・セリ・タケノコについていう。転じて、しんらつな、気が強い、ひどいのような意味に用いる。「あんなエグイしかり方したらあかん」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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たたきの門/観音寺 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月4日掲載)
洛陽観音27番に数えられ、境内の「よなき地蔵」でも著名な京都市上京区出水通の西端にある観音寺。その山門の扉は楠木の一枚板で造られているという。大雨のたびに水があふれたことから名が付いた「出水」。この山門には、その七不思議にも数えられる古い言い伝えがあるという。その言い伝えとは、この門はもともと豊臣秀吉の居城・伏見城の牢獄(ろうごく)に使われていたということに関係するもの。



庶民は築城や戦による徴税に苦しみ、浮浪や盗人が横行し、京の治安は悪化の一途だった。軽微な罪人はこの門の前での百たたきの罰で解き放ったという。「二度と門をくぐることのないように」そんな願いが込められていたのだろう。しかし、青竹で打たれた罪人は痛みに顔をゆがめた。骨を砕かれ、血を吐く、中には息絶える罪人もいた。



その門がなぜ、遠く離れた観音寺の山門になったのか。天明の大火のため、創建当初の記録はない。山門にまつわる伝説は口述で脈々と受け継がれてきたが、移築の理由は、もう分からない。「観音寺さんの前を通ると、人の泣き声が聞こえる」。移築して間もなく、近隣の人にそんなうわさが広がった。いつしか、夜になると人通りが絶えるようになった。



うわさを知った住職が調べると、風が吹くたびに扉の片隅にある小さな「くぐり戸」が自然と開き、「うう…」と泣くような悲しい人の声が聞こえた。「この門に罪人の霊が乗り移っているに違いない」。そう考え住職は百日間に渡って食を断ち、念仏を唱え続けたところ人の声はしなくなったという。



今でも朝晩山門の扉を開け閉めされる。しかし、山門に取り付けられた高さ80cm、幅60cmのくぐり戸が開くことは二度とない。「ギーッ」と音をたてるくぐり戸を不気味に思った昔の住職がくぎ付けをしたからだ。門を表から見ても分からないが、裏に回ると扉の左下に罪人たちの悲痛な叫びを封じ込めたくぐり戸を見ることができる(写真ではちょっと見づらい、かんにん!)…今京都。


 

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天を仰いで思うこと いてる 2009/08/17 12:00 am

てる
「健ちゃんそこにイテルか」 イテルは「居ている」の略。否定的にはイテヘンという。イテテは「いてなさい」の意味。「もうちょっとそこにイテテんか」 イヨルは「居る」の卑語。「まだ店にイヨルんか」 大阪では女性の使う敬語としてイヤルと言う。「明日は家にイヤルとおもいます」 京都ではオイヤスと言う。イテルのルを高く発音すると、「凍る」の意になる。イテルは古語「いつ(凍つ)」に基づく。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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のネタ雑学(48)
キツツキは年中エサに不自由しない?



その名のとおり、キツツキは木を叩いて穴をあけ、木の中の虫を取って食べる鳥として有名である。木の中の虫というと、甲虫類やその幼虫を連想するが、キツツキが食べているのは以外にもアリ。とはいっても、地中に巣をつくる種類ではない。



アリには、枯れ木や枯れかかった木の中に巣をつくって、何千、何万という集団で生活する種類も多い。
キツツキは、そんなアリの巣を見つけては、くちばしから長い舌を出して、アリをなめるようにして、何十匹、何百匹と口に運ぶ。アリの中には、女王アリと少数の雄アリだけで冬を越す種類もいるが、木の中に巣をつくるアリは、冬でもその巣の中に多数が群がって越冬するので、キツツキは冬でもエサに困らない。



なお、キツツキは、木に巣穴をつくるとき、縄張りを主張するときにも、木を叩く。人は、自分の意見を主張するときに机を叩くが、それは関係ないか…と、と、天を仰いで思うこと。
★前回はここ(←クリック)


 

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今京都 こんちきちん 2009/08/16 12:00 am

んちきちん
祇園祭は7月1日の吉符入り(きっぷいり)に始まり、17日の山鉾巡行で盛り上がる。コンコンチキチンコンチキチンの祇園囃しが聞こえる。祇園祭を鱧(はも)祭りともいう。京商人は「客が来ないので商売不振の状態」を「ねっからお客がコンチキチン」と嘆く。来ないのを「コン(来ぬ)」と掛けたもの。山鉾巡行で四条河原町と河原町御池で鉾を方向変えすることを「辻まわし」という。辻で方向を回すからである。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

日、8月16日は京都では五山送り火。五山送り火の記事はここ(←クリック)。

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蔵物語(273)




 

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今京都 かたくま 2009/08/15 12:00 am

たくま
肩車。「お父さんにカタクマしてもろて、よう見えますやろ」 語源は「肩駒(かたこま)」の意。駒のように肩に乗せることから。『日葡辞書』には「両肩または頚(くび)の上に乗馬のように乗ること」とある。かつて、カタグルマのほか、カタクビ・カタウマと言った。福知山や南山城村ではカタウマという。城陽や京田辺ではカタキンバという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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本えんま堂(引接寺) (旧フォトヴィレッジ 2007年8月6日掲載)
えんま様。この名前を聞いて、恐ろしいイメージを抱く人は多いだろう。かっと見開いた両目、大きな口。千本えんま堂の本尊・閻魔(えんま)法王像は、思わず後ずさりしてしまいそうな厳しい表情で鎮座している。えんま様は、実は人間界をつかさどる、私たちに最も身近な仏様。お地蔵さんとえんま様は同じ。この世の人間界と、あの世の地獄や極楽との間にいて、亡くなった人間をどこに送るか決める。それがいつの間にか、地獄の支配者のような印象が強くなっていったといわれる。





千本えんま堂の周辺は、平安時代、風葬の場所だった。当時は、遺体を平安京の外、洛外に運び出す習慣があり、洛外に当たるえんま堂周辺には遺体がたくさん置かれていたという。高価な死に装束を奪う泥棒、遺体からの悪臭…。耐えかねた周辺の住人は、昼は宮中に赴き、夜は閻魔法王に仕えるという役人小野篁(おののたかむら)に陳情に行く。篁は閻魔法王から、亡くなった先祖をこの世へ迎えて供養する「精霊(しょうらい)迎え」の儀式を授かり、現世浄化に努めた。さらに、閻魔法王の手彫りの像を建立した。それが、ここえんま堂の始まりとされる。





その後、1017年に上覚上人が藤原道長の支援を受け、引接寺(いんじょうじ)と命名し、開山した。篁作の閻魔法王像は、応仁の乱で焼失し、現在の像は1488年の作とされている。本堂正面に安置され、左側に記録係の司録尊、右側に検事役の司命尊が居並ぶ。本堂の入り口は、正面ではなく左の側面に設けられ、まさに本堂全体が裁判所形式になっている。





閻魔法王の命日の毎月16日には、法要が営まれる。境内の池に卒塔婆を流し、先祖供養をする。毎回熱心に訪れる人もいるという。ひと昔前まで、地下を掘れば、遺体を埋葬した際に置いた地蔵が出てきたという千本えんま堂周辺。同堂では、毎年お盆の時期に、お精霊迎えとお精霊送りを行っている。えんま様は今でも、大きく目を見開いて、死者の追善供養を見届けているのだろう。



この千本えんま堂の本堂には、地獄壁画の板絵としては国内最大という、狩野光信ら作の絵もある。京都三大念仏狂言の一つ、えんま堂狂言や、花冠ごと散る「普賢象桜」でも知られる…今京都。(写真がブレてます。ごめんなさい。)


 

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天を仰いで思うこと じゅんさいな 2009/08/14 12:00 am

ゅんさいな
いいかげんな。口から出まかせな。要領のよい。「そんなジュンサイナこと言いないな」 京都市南東部では、柔順な、おとなしい意でもいう。蓴菜(じゅんさい)はスイレン科の水草。洛北の深泥池の名産。吸い物や酢の物にして風味がある。ぬるりとして箸にかかりにくいところから、どっちつかずの意味で用い、さらに相手に調子を合わせる意になった。「ジュンサイナお方どすな。はっきりしやはらへん」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(74) ちょっと気になる「ことば」の話
これってどうよ



最近、「どうよ?」という言い方が流行っている。
「最近どうよ? 元気してる?」
「お台場どうよ、一緒に行かない?」
などがそうだ。「よ」のつかない「どう?」であれば、広い年齢層に用いられる普通の言い方であるが、「どうよ?」のほうは若者専用の言葉といえる。さらに「・・・ってどうよ」という言い方も流行っている。
例えば、「C君ってどうよ?」
という具合だ。そのものに対して少しネガティブな印象を抱いているときに用いられることが多いようだ。



一方、おなじ「・・・ってどうよ」でもネガティブな意味を伴わずに純粋な質問文として使われることがある。このような使い方は特にインターネット上で多く見られるようだ。いくつかあげると
「ジャステムってどうよ」
「ブログってどうよ」
「これってどうよ」
である。これらは「どう思う?」「どうですか?」という意で用いられており、特にネガティブな含みはない。このような言い方はネット上で頻繁に用いられ、気楽に意見を聞く仲間内の表現として使われる。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

静岡の方言で「どうよ」という使い方があるらしいが、ネット上で多く使われるところに隠語の雰囲気があるのかもしれない。しかもネット上では「どうよ」だけでなく、「おすすめの英会話スクールってどこよ」「関西優良チームってどこよ」などのスレッドもあり、「どう」以外の疑問詞に波及する勢いがある…と、天を仰いで思うこと。
★前回のちょっと気になる「ことば」の話はここ(←クリック)


 

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