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天を仰いで思うこと てんやもん 2009/11/11 12:00 am
てんやもん
飲食店から買った食べ物。「テンヤモンばっかり食べてると体にようない」 店屋(てんや)は既製品や古物などを売る店。もとは飲食物を注文で作るのではなく、すでに作ってあるものを売るので用いた。間食のこともテンヤモンと言う。江戸時代に遊女をテンヤモンと呼んだのは、身を切り売りする者への蔑称であった。御所ことばで、ヤーというのは、物を売りにくる出入り商人を指した。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(86)
ゴミに思うこと

京都市の家庭系のゴミは、「家庭ゴミ」「大型ゴミ」「資源ゴミ」と、大きく次の3つに分けられる。
「家庭ゴミ」は、週2回回収され、クリーンセンター(清掃工場)に集められ、鉄分を除きほぼ焼却される。京都市は「全量焼却主義」をとっており、家庭ゴミは全てを焼却処理している。焼却処理には(1)ゴミの減量化、(2)病原菌なども分解してしまうため衛生的、(3)分解速度が速いので、大量のゴミを処理するのに好都合、(4)副産物としての熱エネルギーの利用が可能というメリットがあると言われている。焼却後に発生した残灰は埋め立てられる。現在の埋立地は京都市伏見区の水垂処分場で、京都市の清掃工場から発生した焼却残灰はすべてここに埋め立てられている。
京都市で「資源ゴミ」として回収されているのは、缶・ビン・ペットボトルの3種類。従来、京都市では全てのゴミを焼却していたが、昭和62年から平成4年9月までに全市で空き缶の分別収集を開始した。さらに平成8年10月には空きビン回収を開始、平成9年10月からはペットボトルの分別収集を実施。但し、この3種は収集段階では区別されることなく、「資源ゴミ」としてまとめて回収されている。しかも家庭ゴミと同じ、パッカー車で回収を行なうため、ビンなども砕かれて収集されている。選別された缶・ビン・ペットボトルはそれぞれ業者に売却・引き取られる。
「大型ゴミ」は、大型ゴミセンターが電話申し込みにより適宜回収を行なっている。平成9年10月からは区役所やスーパー・コンビニなどで手数料券を購入し、それを大型ゴミに貼付する方法で、有料で収集を行なっている。パッカー車で破砕し、クリーンセンター(清掃工場)へ搬入され、焼却。残灰についての処理は家庭ゴミと同様。冷蔵庫などの4種類については家電リサイクル法(平成12年施行)ができ、新たにリサイクルが法制化された。

日々、我々が出したゴミの収集に頑張ってくれているゴミ収集車。日頃の世話には大変感謝しているが、その走行に寄せられる苦情は耐えないという。確かに、ちょっと恐いと感じる時もある。ゴミ収集の為に、過剰にスピードを出していたり、反対車線を逆走したり。時には、死亡事故につながっていることも少なくない。言葉は乱暴だが、「暴走ゴミ収集車(パッカー車)」の存在が恐怖を与えているのは間違いない事実だ。しかし、ゴミ収集車だけが悪いわけではない。消費者(ゴミの排出者)が、ゴミを少なくするなどの意識を持つことも必要なことだ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
家庭系のゴミとして出す場合には各自治体の分別方法に依拠してゴミを出すことが最低条件。京都市では「資源ゴミ」には缶・ビン・ペットボトルしか入れてはいけないのだが、注射針や布類なども運ばれてくることもある。定期収集のゴミに出す場合は、その自治体のルールにしたがった分別方法で排出する必要がある。また、自治体が回収するゴミで全ての分別ができればいいが、残念ながら、例えば京都市では缶・ビン・ペットボトルしか分別収集されていない。そのためプラスチックなどを分別しても意味がないということになる。従って、牛乳パック、トレイなどはスーパーなどの店舗前に置いてある回収BOXへ、古新聞紙、古雑誌、布類などは廃品回収へ出すことが必要。また、生ごみはコンポストに入れて堆肥化することも一つの手。他にも、ビールビンなどのリターナブルのビンを京都市の「資源ゴミ」として排出すると、リターナブルとしては使われず、砕かれて他のワンウェイのビンと同様に扱われることになる。そのためリターナブルビンは回収している店に持ち込むことが必要。このように自治体が分別収集することを待たずとも、各自で分別を行なうことでゴミの減量を行なうことが可能になる。現在のゴミ問題は、使い捨てを当然と思い、ゴミの処理は自治体の責任であると考えて自由にゴミを排出し続けてきた結果起こったものであると言える。この使い捨て文化を見直すためには、意識の変革が必要ではないか…と、天を仰いで思うこと。

飲食店から買った食べ物。「テンヤモンばっかり食べてると体にようない」 店屋(てんや)は既製品や古物などを売る店。もとは飲食物を注文で作るのではなく、すでに作ってあるものを売るので用いた。間食のこともテンヤモンと言う。江戸時代に遊女をテンヤモンと呼んだのは、身を切り売りする者への蔑称であった。御所ことばで、ヤーというのは、物を売りにくる出入り商人を指した。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(86)
ゴミに思うこと

京都市の家庭系のゴミは、「家庭ゴミ」「大型ゴミ」「資源ゴミ」と、大きく次の3つに分けられる。
「家庭ゴミ」は、週2回回収され、クリーンセンター(清掃工場)に集められ、鉄分を除きほぼ焼却される。京都市は「全量焼却主義」をとっており、家庭ゴミは全てを焼却処理している。焼却処理には(1)ゴミの減量化、(2)病原菌なども分解してしまうため衛生的、(3)分解速度が速いので、大量のゴミを処理するのに好都合、(4)副産物としての熱エネルギーの利用が可能というメリットがあると言われている。焼却後に発生した残灰は埋め立てられる。現在の埋立地は京都市伏見区の水垂処分場で、京都市の清掃工場から発生した焼却残灰はすべてここに埋め立てられている。
京都市で「資源ゴミ」として回収されているのは、缶・ビン・ペットボトルの3種類。従来、京都市では全てのゴミを焼却していたが、昭和62年から平成4年9月までに全市で空き缶の分別収集を開始した。さらに平成8年10月には空きビン回収を開始、平成9年10月からはペットボトルの分別収集を実施。但し、この3種は収集段階では区別されることなく、「資源ゴミ」としてまとめて回収されている。しかも家庭ゴミと同じ、パッカー車で回収を行なうため、ビンなども砕かれて収集されている。選別された缶・ビン・ペットボトルはそれぞれ業者に売却・引き取られる。
「大型ゴミ」は、大型ゴミセンターが電話申し込みにより適宜回収を行なっている。平成9年10月からは区役所やスーパー・コンビニなどで手数料券を購入し、それを大型ゴミに貼付する方法で、有料で収集を行なっている。パッカー車で破砕し、クリーンセンター(清掃工場)へ搬入され、焼却。残灰についての処理は家庭ゴミと同様。冷蔵庫などの4種類については家電リサイクル法(平成12年施行)ができ、新たにリサイクルが法制化された。

日々、我々が出したゴミの収集に頑張ってくれているゴミ収集車。日頃の世話には大変感謝しているが、その走行に寄せられる苦情は耐えないという。確かに、ちょっと恐いと感じる時もある。ゴミ収集の為に、過剰にスピードを出していたり、反対車線を逆走したり。時には、死亡事故につながっていることも少なくない。言葉は乱暴だが、「暴走ゴミ収集車(パッカー車)」の存在が恐怖を与えているのは間違いない事実だ。しかし、ゴミ収集車だけが悪いわけではない。消費者(ゴミの排出者)が、ゴミを少なくするなどの意識を持つことも必要なことだ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
家庭系のゴミとして出す場合には各自治体の分別方法に依拠してゴミを出すことが最低条件。京都市では「資源ゴミ」には缶・ビン・ペットボトルしか入れてはいけないのだが、注射針や布類なども運ばれてくることもある。定期収集のゴミに出す場合は、その自治体のルールにしたがった分別方法で排出する必要がある。また、自治体が回収するゴミで全ての分別ができればいいが、残念ながら、例えば京都市では缶・ビン・ペットボトルしか分別収集されていない。そのためプラスチックなどを分別しても意味がないということになる。従って、牛乳パック、トレイなどはスーパーなどの店舗前に置いてある回収BOXへ、古新聞紙、古雑誌、布類などは廃品回収へ出すことが必要。また、生ごみはコンポストに入れて堆肥化することも一つの手。他にも、ビールビンなどのリターナブルのビンを京都市の「資源ゴミ」として排出すると、リターナブルとしては使われず、砕かれて他のワンウェイのビンと同様に扱われることになる。そのためリターナブルビンは回収している店に持ち込むことが必要。このように自治体が分別収集することを待たずとも、各自で分別を行なうことでゴミの減量を行なうことが可能になる。現在のゴミ問題は、使い捨てを当然と思い、ゴミの処理は自治体の責任であると考えて自由にゴミを排出し続けてきた結果起こったものであると言える。この使い捨て文化を見直すためには、意識の変革が必要ではないか…と、天を仰いで思うこと。


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今京都 さいた 2009/11/10 12:00 am
さいた
指した。差した。子どもが人当て遊び歌で、「誰さんの隣に誰がいる」と囃すと、目隠しした鬼が人の名前を当てる。当たれば「ようサイタ(指した)」と一同が答えた。当て外れると、「つるっと滑って橋の下」とまた囃す。「傘をサイテ行きなはい」のように「差して」をサイテとも言う。「お礼をサイダス(差し出す)」というところもある。かつては「傘サイセ行け」と、サイテをサイセとも言った。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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蛸薬師 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月25日掲載)
買い物客や修学旅行生が行きかう京都の繁華街、新京極通の蛸薬師に蛸薬師堂がある。若者向け洋品店やゲームセンター、土産物店にまぎれるように、ひっそりとたたずんでいる。蛸薬師堂はもともと、今の約1km北西の二条室町(にじょうむろまち)の辺りにあった。寺の名前は永福寺。後深草天皇の建長年間(1249〜1256)の初め、善光という僧が住んでいた。

寺で看病していた母親にある日、「子どもの頃から好きだったタコを食べると病気が治るかもしれない」と懇願される。善光は困り果てる。と、いうのは僧侶は生き物を殺したり、食べてはいけないからだ。だが善光はタコを買い、経本を入れる箱に隠す。僧侶が生魚を買ったことに不審を抱いた人々は、寺の門前で箱の中を見せるように迫る。

「母の病気を治すためです。薬師如来様、どうかお助けください」。善光は一心に祈りながら、箱を開ける。するとタコは八軸の経巻になり、四方に光を放つ。経巻は再びタコに姿を変えて池に飛び込むと、今度は薬師如来に変じて善光の母を照らし病気を治す。それから、永福寺は蛸薬師堂と呼ばれるようになったという。

当時は、僧侶は生き物を食べないということが人々に浸透していた。だから魚屋の前にいた善光の姿が珍しく、現在のように誰もが当たり前に魚介類を食べる世の中では、この逸話はなかったと思う。蛸薬師堂は、豊臣秀吉の時代に現在の地へ移る。病気を治した蛸薬師様に病気平癒を祈る人々の参拝が絶えず、寺に通じる坊門通は、蛸薬師通と名を変えた。

新京極通から数歩入った境内は、とても狭いが驚くほどに静か。母を思って買ってはならないタコを買い、一生懸命に祈った善光さんの気持ちと、今の人々が大切な人を思って手を合わせる気持ちは時代が違ってもなんら変わりないと信じたい…今京都。

指した。差した。子どもが人当て遊び歌で、「誰さんの隣に誰がいる」と囃すと、目隠しした鬼が人の名前を当てる。当たれば「ようサイタ(指した)」と一同が答えた。当て外れると、「つるっと滑って橋の下」とまた囃す。「傘をサイテ行きなはい」のように「差して」をサイテとも言う。「お礼をサイダス(差し出す)」というところもある。かつては「傘サイセ行け」と、サイテをサイセとも言った。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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蛸薬師 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月25日掲載)
買い物客や修学旅行生が行きかう京都の繁華街、新京極通の蛸薬師に蛸薬師堂がある。若者向け洋品店やゲームセンター、土産物店にまぎれるように、ひっそりとたたずんでいる。蛸薬師堂はもともと、今の約1km北西の二条室町(にじょうむろまち)の辺りにあった。寺の名前は永福寺。後深草天皇の建長年間(1249〜1256)の初め、善光という僧が住んでいた。

寺で看病していた母親にある日、「子どもの頃から好きだったタコを食べると病気が治るかもしれない」と懇願される。善光は困り果てる。と、いうのは僧侶は生き物を殺したり、食べてはいけないからだ。だが善光はタコを買い、経本を入れる箱に隠す。僧侶が生魚を買ったことに不審を抱いた人々は、寺の門前で箱の中を見せるように迫る。

「母の病気を治すためです。薬師如来様、どうかお助けください」。善光は一心に祈りながら、箱を開ける。するとタコは八軸の経巻になり、四方に光を放つ。経巻は再びタコに姿を変えて池に飛び込むと、今度は薬師如来に変じて善光の母を照らし病気を治す。それから、永福寺は蛸薬師堂と呼ばれるようになったという。

当時は、僧侶は生き物を食べないということが人々に浸透していた。だから魚屋の前にいた善光の姿が珍しく、現在のように誰もが当たり前に魚介類を食べる世の中では、この逸話はなかったと思う。蛸薬師堂は、豊臣秀吉の時代に現在の地へ移る。病気を治した蛸薬師様に病気平癒を祈る人々の参拝が絶えず、寺に通じる坊門通は、蛸薬師通と名を変えた。

新京極通から数歩入った境内は、とても狭いが驚くほどに静か。母を思って買ってはならないタコを買い、一生懸命に祈った善光さんの気持ちと、今の人々が大切な人を思って手を合わせる気持ちは時代が違ってもなんら変わりないと信じたい…今京都。


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天を仰いで思うこと 〜し 2009/11/09 12:00 am
〜し
理由を示す接続助詞。京都周辺では〜サケのほか、サケン、サキン、ハカイ、ハケ、シキャー、スキャーなどと言う。「雨が降るシ、傘持って行きや」サカイよりも「シ」の方が理由づけの程度が軽い。「そんなことするシ、怒られるのや」「ええ天気やシ洗濯しよう」「〜のとき、〜の折」の意の助詞シがある。「会社の帰りシ、寄ってくるわ」「帰りシナに」とシナを使うこともある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(85)
あかりの日に思うこと

ペダルをこぐ自転車型の室内用フィットネスバイクを見ると思うことがある。これに発電機を組み合わせたらどうだろう…ということだ。運動によるメタボ対策と発電の一石二鳥になるのではないか。その労力はどれほどのものになるのか想像できないが、白熱電球を点灯させるぐらいはできるであろう、と考える。

京都市内の「ひのでやエコライフ研究所」では自転車の後輪に付ける発電装置を貸し出しているらしい。研究所によると、白熱電球を1時間ともすのに自転車を51分もこがないといけないそうだ。「電気を起こす大変さを実感し、節電の大切さに思い至ってもらえれば」と同研究所。発電装置は学校や大学、地域のイベントなどに活用されているという。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
10月21日は、あかりの日。発明家のエジソンが130年前に白熱電球を実用化した日にちなみ、日本電球工業会など照明関係の4団体が1981年に制定したとのこと。あかりは蛍光灯のほか、消費電力が少なく二酸化炭素を削減できるLED(発光ダイオード)電球も出ている。ひと汗かいて発電の苦労を体感したら、こまめに節電していこうという気になるのではないか…と、天を仰いで思うこと。

理由を示す接続助詞。京都周辺では〜サケのほか、サケン、サキン、ハカイ、ハケ、シキャー、スキャーなどと言う。「雨が降るシ、傘持って行きや」サカイよりも「シ」の方が理由づけの程度が軽い。「そんなことするシ、怒られるのや」「ええ天気やシ洗濯しよう」「〜のとき、〜の折」の意の助詞シがある。「会社の帰りシ、寄ってくるわ」「帰りシナに」とシナを使うこともある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(85)
あかりの日に思うこと

ペダルをこぐ自転車型の室内用フィットネスバイクを見ると思うことがある。これに発電機を組み合わせたらどうだろう…ということだ。運動によるメタボ対策と発電の一石二鳥になるのではないか。その労力はどれほどのものになるのか想像できないが、白熱電球を点灯させるぐらいはできるであろう、と考える。

京都市内の「ひのでやエコライフ研究所」では自転車の後輪に付ける発電装置を貸し出しているらしい。研究所によると、白熱電球を1時間ともすのに自転車を51分もこがないといけないそうだ。「電気を起こす大変さを実感し、節電の大切さに思い至ってもらえれば」と同研究所。発電装置は学校や大学、地域のイベントなどに活用されているという。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
10月21日は、あかりの日。発明家のエジソンが130年前に白熱電球を実用化した日にちなみ、日本電球工業会など照明関係の4団体が1981年に制定したとのこと。あかりは蛍光灯のほか、消費電力が少なく二酸化炭素を削減できるLED(発光ダイオード)電球も出ている。ひと汗かいて発電の苦労を体感したら、こまめに節電していこうという気になるのではないか…と、天を仰いで思うこと。


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今京都 しっぽく 2009/11/08 12:00 am
しっぽく
かやくうどん。シイタケ、カマボコ、ユバ、ホウレン草などを入れる。シップクとも。卓袱(しっぽく)はもとは食卓の覆いのことで、中国風の食卓の意味になった。丸型の飯台で、真ん中に丸く切れ込みがある。鍋物には切り込みを外し、コンロをはめて使う。シッポクダイと言う。なお、タヌキうどんはキツネうどんの汁をあんかけにしたもの。あんかけの色からタヌキを連想する。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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羅漢



地蔵物語(282)


かやくうどん。シイタケ、カマボコ、ユバ、ホウレン草などを入れる。シップクとも。卓袱(しっぽく)はもとは食卓の覆いのことで、中国風の食卓の意味になった。丸型の飯台で、真ん中に丸く切れ込みがある。鍋物には切り込みを外し、コンロをはめて使う。シッポクダイと言う。なお、タヌキうどんはキツネうどんの汁をあんかけにしたもの。あんかけの色からタヌキを連想する。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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羅漢



地蔵物語(282)



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今京都 めーぼ 2009/11/07 12:00 am
めーぼ
ものもらい。目の縁にできる小さい腫れ物。「メーボやと思うたら小豆粒やった」と唱えて、井戸に小豆を三つ後ろ向きに投げ入れるとメーボが治るなどという言い伝えがある。人から物をもらうと治るという民間信仰からモノモライというほか、全国各地の方言は多い。京都府北部や南山城ではメボ、メバチコとも言う。熊本でオヒメサン、仙台でバカなど麦粒腫の命名の動機をさぐるのも面白い。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
法雲寺/菊野大明神 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月23日掲載)
寺社仏閣、色々なご利益があるのは当然のこと。家内安全、無病息災、学業成就、良縁…などなど。その中でも「少し恐いな」と思うのが「縁切り」のご利益。「良縁を結び、悪縁を断つ」という大明神があると知り、早速でかけてみた。念のために断っておくけれど、願掛けに行ったのではない。

河原町二条の交差点を少し北に行った東側にある法雲寺のお堂内に「菊野大明神」の祠がひっそりとたたずむ。この「菊野大明神」が「どうしても別れたいのに、恋人が別れてくれない」「何とかして夫の浮気をやめさせたい」そんな縁切りの願いをかなえてくれるという。

言い伝えはこうだ。昔、三条東洞院に婚礼の儀で近くを通ると、その後に必ず夫婦が別れてしまう石があった。法雲寺が1788(天明8)年の大火で全焼し、15年後に再建する際、山伏が現れて「霊石があるのを知っているか。祭らなあかんぞ」と言った。当時の住職が霊石を探したところ、この「縁切り石」が出てきたという。また、別の伝承では、小野小町に恋焦がれて百夜通いをしていた深草少将が、腰掛けて休んだ石ともされている。少将はあと一夜を残して亡くなり、その石に無念の思いがこもって、男女を別れさせるというのだ。以前はうす暗いお堂の中の祠に、恨みのこもった願書が重なるように張られたり、ぐるぐるに巻いた女性の髪や五寸くぎを刺したわら人形が置かれるなど、不気味な雰囲気だったという。

この祠は、1988(昭和63)年に改装し、「良縁を結び悪縁だけを断ち切る神様」として信仰されているという。現実に訪れるのは「悪縁を切りたい人ばかり」で、しかも、その参拝者の9割は女性だということだ。最も多いのは「夫や恋人が浮気相手と別れてほしい」という願いだそうだ。他には「子どもの縁談が気に入らないから壊れてほしい」とか「ストーカーから逃れたい」などもあるというからある意味で時代を反映しているのかも知れない。

大明神に向かって「男の本性を教えて」などと悩みを打ち明けながらお参りする女性もいるという。男と女は心の根っこが違うから色々な意味での行き違いがあっても当たり前だと思うけれど、この祠で大明神を見つめていると参拝者たちの姿が目に浮かんでくる。現実は小説よりもドラマチックで、ドロドロしているということか…。

菊野大明神にお参りをした何ヶ月か後に「別れられました」とすっきりした顔で御礼参りに来る人も多いという。いつの世も一番の喜びも一番の苦しみも恋愛によってもたらされるのはひとつの事実だけれど、「男女の仲は難しい」としみじみと思い、いつしか手を合わせている自分がいた…今京都。

ものもらい。目の縁にできる小さい腫れ物。「メーボやと思うたら小豆粒やった」と唱えて、井戸に小豆を三つ後ろ向きに投げ入れるとメーボが治るなどという言い伝えがある。人から物をもらうと治るという民間信仰からモノモライというほか、全国各地の方言は多い。京都府北部や南山城ではメボ、メバチコとも言う。熊本でオヒメサン、仙台でバカなど麦粒腫の命名の動機をさぐるのも面白い。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
法雲寺/菊野大明神 (旧フォトヴィレッジ 2007年10月23日掲載)
寺社仏閣、色々なご利益があるのは当然のこと。家内安全、無病息災、学業成就、良縁…などなど。その中でも「少し恐いな」と思うのが「縁切り」のご利益。「良縁を結び、悪縁を断つ」という大明神があると知り、早速でかけてみた。念のために断っておくけれど、願掛けに行ったのではない。

河原町二条の交差点を少し北に行った東側にある法雲寺のお堂内に「菊野大明神」の祠がひっそりとたたずむ。この「菊野大明神」が「どうしても別れたいのに、恋人が別れてくれない」「何とかして夫の浮気をやめさせたい」そんな縁切りの願いをかなえてくれるという。

言い伝えはこうだ。昔、三条東洞院に婚礼の儀で近くを通ると、その後に必ず夫婦が別れてしまう石があった。法雲寺が1788(天明8)年の大火で全焼し、15年後に再建する際、山伏が現れて「霊石があるのを知っているか。祭らなあかんぞ」と言った。当時の住職が霊石を探したところ、この「縁切り石」が出てきたという。また、別の伝承では、小野小町に恋焦がれて百夜通いをしていた深草少将が、腰掛けて休んだ石ともされている。少将はあと一夜を残して亡くなり、その石に無念の思いがこもって、男女を別れさせるというのだ。以前はうす暗いお堂の中の祠に、恨みのこもった願書が重なるように張られたり、ぐるぐるに巻いた女性の髪や五寸くぎを刺したわら人形が置かれるなど、不気味な雰囲気だったという。

この祠は、1988(昭和63)年に改装し、「良縁を結び悪縁だけを断ち切る神様」として信仰されているという。現実に訪れるのは「悪縁を切りたい人ばかり」で、しかも、その参拝者の9割は女性だということだ。最も多いのは「夫や恋人が浮気相手と別れてほしい」という願いだそうだ。他には「子どもの縁談が気に入らないから壊れてほしい」とか「ストーカーから逃れたい」などもあるというからある意味で時代を反映しているのかも知れない。

大明神に向かって「男の本性を教えて」などと悩みを打ち明けながらお参りする女性もいるという。男と女は心の根っこが違うから色々な意味での行き違いがあっても当たり前だと思うけれど、この祠で大明神を見つめていると参拝者たちの姿が目に浮かんでくる。現実は小説よりもドラマチックで、ドロドロしているということか…。

菊野大明神にお参りをした何ヶ月か後に「別れられました」とすっきりした顔で御礼参りに来る人も多いという。いつの世も一番の喜びも一番の苦しみも恋愛によってもたらされるのはひとつの事実だけれど、「男女の仲は難しい」としみじみと思い、いつしか手を合わせている自分がいた…今京都。

