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天を仰いで思うこと なまくら 2009/12/11 12:00 am
なまくら
ごまかし。嘘。「ナマクラして頼りない男や」 鈍なこと、のらくらの意味も。「なま暗い」の省略で、なんとなく暗いところにある状態から。ニブイとウスイを組み合わせてニスイという。「あいつはニスイことしよる」と。狡猾な、いやらしいの意。ぐずぐずして態度のはっきりしないさま、むだに時間を費やすことはノンベンダラリと言うが、ノンベンは「延びる」から。ダラリは緩慢怠惰の形容。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四四方山話(98)
ノーベル賞に思うこと

今年のノーベル賞はオバマ米大統領の平和賞が最大の話題だったのではないか。13人の受賞者のうち女性が5人に上ったことも快挙だといえる。昨年の大騒ぎから一転、日本人の受賞はなし。しかし、物理学賞には元東北大学長の西沢潤一氏の名前があっても不思議ではないのに…と感じる。受賞者のひとり、元香港中文大学長のチャールズ・カオ氏は光ファイバーの実用化に貢献した。西沢氏はカオ氏に先立ち、光ファイバーで大容量の光通信が可能なことを明らかにしている。研究の大本を大切にするのがノーベル賞の伝統だから、同時受賞もありえたのではないか。

それを阻んだのは、一つの賞で最大3人という授賞ルールだという。研究業績があっても組み合わせ次第で選から漏れる。今回は光学技術のくくりで、デジタルカメラなどで使うCCD(電荷結合素子)の発明者2人と組み合わされた。光ファイバーだけで3人選ぶこともできたはずだが…。また、物故者は対象にならないのもルール。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
そこで思い起こすのは、京都大医学部出身で神戸大学長を務めた西塚泰美氏。ノーベル賞候補に挙げられ、発表当日には毎年、多くのマスコミが集まった。2000年、医学生理学賞の対象が西塚氏の研究分野になったものの、受賞の3人には入らなかった。その後も受賞が取りざたされたが、結局実現しないまま、2004年秋に亡くなる。優れた研究業績を挙げたうえに、運も味方にしなければ、ノーベル賞は取れないということか…と、天を仰いで思うこと。

ごまかし。嘘。「ナマクラして頼りない男や」 鈍なこと、のらくらの意味も。「なま暗い」の省略で、なんとなく暗いところにある状態から。ニブイとウスイを組み合わせてニスイという。「あいつはニスイことしよる」と。狡猾な、いやらしいの意。ぐずぐずして態度のはっきりしないさま、むだに時間を費やすことはノンベンダラリと言うが、ノンベンは「延びる」から。ダラリは緩慢怠惰の形容。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四四方山話(98)
ノーベル賞に思うこと

今年のノーベル賞はオバマ米大統領の平和賞が最大の話題だったのではないか。13人の受賞者のうち女性が5人に上ったことも快挙だといえる。昨年の大騒ぎから一転、日本人の受賞はなし。しかし、物理学賞には元東北大学長の西沢潤一氏の名前があっても不思議ではないのに…と感じる。受賞者のひとり、元香港中文大学長のチャールズ・カオ氏は光ファイバーの実用化に貢献した。西沢氏はカオ氏に先立ち、光ファイバーで大容量の光通信が可能なことを明らかにしている。研究の大本を大切にするのがノーベル賞の伝統だから、同時受賞もありえたのではないか。

それを阻んだのは、一つの賞で最大3人という授賞ルールだという。研究業績があっても組み合わせ次第で選から漏れる。今回は光学技術のくくりで、デジタルカメラなどで使うCCD(電荷結合素子)の発明者2人と組み合わされた。光ファイバーだけで3人選ぶこともできたはずだが…。また、物故者は対象にならないのもルール。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
そこで思い起こすのは、京都大医学部出身で神戸大学長を務めた西塚泰美氏。ノーベル賞候補に挙げられ、発表当日には毎年、多くのマスコミが集まった。2000年、医学生理学賞の対象が西塚氏の研究分野になったものの、受賞の3人には入らなかった。その後も受賞が取りざたされたが、結局実現しないまま、2004年秋に亡くなる。優れた研究業績を挙げたうえに、運も味方にしなければ、ノーベル賞は取れないということか…と、天を仰いで思うこと。


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今京都 ほげた 2009/12/10 12:00 am
ほげた
口答え。「親にホゲタたたくな」「頬桁」から。頬骨を動かすさまから、口答えするのを罵っていう。頬をホベタ、ホーベタとも。『日葡辞書』にはホウゲタとある。ひどく悪くいうことはボロクソで、幕末ごろから使われた。全く困難のないことを無価値と見なして、いとも容易なの意味に変わった。「そんなんボロクソや、まかしとき」ボロは襤褸から。ボロカスともいう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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亀山稲荷神社 (旧フォトヴィレッジ 2007年7月9日掲載)

京都はホントに不思議な街。町を自転車で走っていると、こういう場所を発見した。


石碑には「丹波国亀山藩京屋敷跡」と刻まれている。立札には、要約すると「亀山藩京都松原邸の鎮守の神として祀られていたのが亀山稲荷で、祭神は白瀧大明神(しらたきだいみょうじん)と花月大明神(かげつだいみょうじん)である。昔は両祠があり、江戸期より衆人に尊崇され亀山講も存した。明治以降は、中野之町が奉祀する」ということか。

白瀧大明神(しらたきだいみょうじん)と花月大明神(かげつだいみょうじん)の石碑。鳥居をくぐっていくと、境内と社があるが、「これでおしまい?」と思うほどの広さしかない。


境内から見るとこういう光景。とても視野が狭い。

ビルとビルの間に挟まれた「亀山稲荷神社」。ビルの工事をしているときも慎重に保護されていたのだろうと想像する。とても不思議な空間がある…今京都。

口答え。「親にホゲタたたくな」「頬桁」から。頬骨を動かすさまから、口答えするのを罵っていう。頬をホベタ、ホーベタとも。『日葡辞書』にはホウゲタとある。ひどく悪くいうことはボロクソで、幕末ごろから使われた。全く困難のないことを無価値と見なして、いとも容易なの意味に変わった。「そんなんボロクソや、まかしとき」ボロは襤褸から。ボロカスともいう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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亀山稲荷神社 (旧フォトヴィレッジ 2007年7月9日掲載)

京都はホントに不思議な街。町を自転車で走っていると、こういう場所を発見した。


石碑には「丹波国亀山藩京屋敷跡」と刻まれている。立札には、要約すると「亀山藩京都松原邸の鎮守の神として祀られていたのが亀山稲荷で、祭神は白瀧大明神(しらたきだいみょうじん)と花月大明神(かげつだいみょうじん)である。昔は両祠があり、江戸期より衆人に尊崇され亀山講も存した。明治以降は、中野之町が奉祀する」ということか。

白瀧大明神(しらたきだいみょうじん)と花月大明神(かげつだいみょうじん)の石碑。鳥居をくぐっていくと、境内と社があるが、「これでおしまい?」と思うほどの広さしかない。


境内から見るとこういう光景。とても視野が狭い。

ビルとビルの間に挟まれた「亀山稲荷神社」。ビルの工事をしているときも慎重に保護されていたのだろうと想像する。とても不思議な空間がある…今京都。


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天を仰いで思うこと ひちくどい 2009/12/09 12:00 am
ひちくどい
「くどい」を強めていう。「いつもヒチクドイことを言う」 京都ではシチをヒチという。質屋をヒチヤ、七条をヒッチョーのように。「ヒチ面倒臭い」「ヒチむつかしい」のヒチ(しち)も程度を超えているの意の接頭辞。ほかに「ふとんょヒク」「ヒツレイ(失礼)」など。ヒチリケッパイ(七里結界)は魔性が入り込まぬよう七里四方に境界を設けることで、嫌って寄せ付けないということわざである。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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天を仰いで思うこと
リニューアルスターとから丸2年が過ぎ、3年めに突入

rrbのメインブログ−フォトヴィレッジ−がリニューアルスタートして、今日から3年めに入る。はじめは2006年4月25日にスタートしたので、今では4年め…だ。我ながらよく続いていると感心する。旧フォトヴィレッジに掲載した主要な記事もおおよそ再掲ができている。喜ばしいことだ。と、同時に、そろそろネタが尽きるということにつながってしまう。これは困った。

「今京都」として、今現在の京都をリポートする、という目的が果たせているのかどうか…も不安だ。最近は京都の町を歩く(自転車で走る)ことも少なくなってきたので、果たせているとは言い難い。それに、意地のように毎日更新しているが、正直、「ちょっと負担かも…」と感じるようになってきている。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
リニューアルスタート3年めに突入を機に、ブログ更新のあり方も考え直そうか…と、天を仰いで思うこと。

「くどい」を強めていう。「いつもヒチクドイことを言う」 京都ではシチをヒチという。質屋をヒチヤ、七条をヒッチョーのように。「ヒチ面倒臭い」「ヒチむつかしい」のヒチ(しち)も程度を超えているの意の接頭辞。ほかに「ふとんょヒク」「ヒツレイ(失礼)」など。ヒチリケッパイ(七里結界)は魔性が入り込まぬよう七里四方に境界を設けることで、嫌って寄せ付けないということわざである。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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天を仰いで思うこと
リニューアルスターとから丸2年が過ぎ、3年めに突入

rrbのメインブログ−フォトヴィレッジ−がリニューアルスタートして、今日から3年めに入る。はじめは2006年4月25日にスタートしたので、今では4年め…だ。我ながらよく続いていると感心する。旧フォトヴィレッジに掲載した主要な記事もおおよそ再掲ができている。喜ばしいことだ。と、同時に、そろそろネタが尽きるということにつながってしまう。これは困った。

「今京都」として、今現在の京都をリポートする、という目的が果たせているのかどうか…も不安だ。最近は京都の町を歩く(自転車で走る)ことも少なくなってきたので、果たせているとは言い難い。それに、意地のように毎日更新しているが、正直、「ちょっと負担かも…」と感じるようになってきている。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
リニューアルスタート3年めに突入を機に、ブログ更新のあり方も考え直そうか…と、天を仰いで思うこと。


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今京都 まどう 2009/12/08 12:00 am
まどう
元どおりにする。償う。弁償する。「そんなええもの壊してしもてマドワンならん」「前のとおりにマドーてや」「全く、返す」という意味から。「迷う」からという説、「円う」からとの説もある。『東海道中膝栗毛』には「もとのとほりにまどうてかへしゃ」とあり、『俚言集覧』には「まどふ 惑を訓り、又俗に賠償をまどうといふ、賠還也」と。マドウよりもマドス(弁償する)を多く使用するようになった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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福田寺/龍神と雨乞い (旧フォトヴィレッジ 2007年12月7日掲載)
京都市南区久世殿城町は国道171号を車が激しく行きかう。その国道を離れて少し西に入るとその喧騒がウソのように感じるくらい静かだ。そんな静かな空間に福田寺はたたずむ。参道を歩くと、鉄筋コンクリート造りの本堂が参拝者を迎え、その隣に木造の龍神堂がある。その堂の中で祭られているのが、「雨乞い」の伝承を持つ龍神像。

同寺は奈良時代の718(養老2)年、仏教の民間布教に尽くした行基(668〜749)が開いた。創建当時は、約800m四方の広大な境内に七堂伽藍を配置。平安末期には、「百人一首」の歌人で知られる俊恵が住職に就き、日照りや干ばつの際に雨乞いの法要を営んだとされる。「龍神と雨乞い」の話に想いが馳せ、初秋に訪れた。

龍神と雨乞いのお話。伝承では、水を求め人々が信仰した龍神は境内の北東角にあった「板井の清水(池)」の水中から現れたという。雨乞いの法要は、龍神像に向かって僧侶が祈祷を行うとともに、裸姿の若い男たちが「板井の清水」を龍神像にかけながら像の周りで踊った。すると祈祷の御利益によって恵みの雨が降ってきたという。

この雨乞いは天保年間(1830〜1844)の久世の様子を記す史料にも登場し、そこでは稲が育つようにと福田寺をはじめ3ヶ寺の住職らが連日雨乞いの法要を続け、一週間目に初めて雨が降ったと書かれているという。寺の周囲にはため池などがなく、田植えの後は特に水が欲しかったので、当時の人の気持ちがなんとなく想像できる。

龍神像は、目が飛び出し鼻や口も大きい。垂れ下がった耳を持ち、足の指は二本。身に着けているものはふんどしのみで引き締まった肉体をさらけ出し、手を前で組んでひざを立てて座っているというが、残念ながら見せていただくことができなかった。専門家によると、像は毘沙門天の左右に配される毘藍婆(びらんば)の可能性が高く、製作年代も平安前期までさかのぼるという。

福田寺周辺の宅地開発が進むに伴って田んぼがなくなり、戦前まで続けられていた雨乞いの法要も今では行われなくなったという。時代の流れとともに消えたひとつの法要がここにもある。信仰がひとつ消えたということか…。同寺には中国・梁の武帝(6世紀)が安産の守り神として自ら彫刻し、空海が日本に持ち帰ったと伝わる摩耶夫人像を安置し、七福神の一人、弁財天も祭られている…今京都。

元どおりにする。償う。弁償する。「そんなええもの壊してしもてマドワンならん」「前のとおりにマドーてや」「全く、返す」という意味から。「迷う」からという説、「円う」からとの説もある。『東海道中膝栗毛』には「もとのとほりにまどうてかへしゃ」とあり、『俚言集覧』には「まどふ 惑を訓り、又俗に賠償をまどうといふ、賠還也」と。マドウよりもマドス(弁償する)を多く使用するようになった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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福田寺/龍神と雨乞い (旧フォトヴィレッジ 2007年12月7日掲載)
京都市南区久世殿城町は国道171号を車が激しく行きかう。その国道を離れて少し西に入るとその喧騒がウソのように感じるくらい静かだ。そんな静かな空間に福田寺はたたずむ。参道を歩くと、鉄筋コンクリート造りの本堂が参拝者を迎え、その隣に木造の龍神堂がある。その堂の中で祭られているのが、「雨乞い」の伝承を持つ龍神像。

同寺は奈良時代の718(養老2)年、仏教の民間布教に尽くした行基(668〜749)が開いた。創建当時は、約800m四方の広大な境内に七堂伽藍を配置。平安末期には、「百人一首」の歌人で知られる俊恵が住職に就き、日照りや干ばつの際に雨乞いの法要を営んだとされる。「龍神と雨乞い」の話に想いが馳せ、初秋に訪れた。

龍神と雨乞いのお話。伝承では、水を求め人々が信仰した龍神は境内の北東角にあった「板井の清水(池)」の水中から現れたという。雨乞いの法要は、龍神像に向かって僧侶が祈祷を行うとともに、裸姿の若い男たちが「板井の清水」を龍神像にかけながら像の周りで踊った。すると祈祷の御利益によって恵みの雨が降ってきたという。

この雨乞いは天保年間(1830〜1844)の久世の様子を記す史料にも登場し、そこでは稲が育つようにと福田寺をはじめ3ヶ寺の住職らが連日雨乞いの法要を続け、一週間目に初めて雨が降ったと書かれているという。寺の周囲にはため池などがなく、田植えの後は特に水が欲しかったので、当時の人の気持ちがなんとなく想像できる。

龍神像は、目が飛び出し鼻や口も大きい。垂れ下がった耳を持ち、足の指は二本。身に着けているものはふんどしのみで引き締まった肉体をさらけ出し、手を前で組んでひざを立てて座っているというが、残念ながら見せていただくことができなかった。専門家によると、像は毘沙門天の左右に配される毘藍婆(びらんば)の可能性が高く、製作年代も平安前期までさかのぼるという。

福田寺周辺の宅地開発が進むに伴って田んぼがなくなり、戦前まで続けられていた雨乞いの法要も今では行われなくなったという。時代の流れとともに消えたひとつの法要がここにもある。信仰がひとつ消えたということか…。同寺には中国・梁の武帝(6世紀)が安産の守り神として自ら彫刻し、空海が日本に持ち帰ったと伝わる摩耶夫人像を安置し、七福神の一人、弁財天も祭られている…今京都。


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天を仰いで思うこと べべた 2009/12/07 12:00 am
べべた
びり。最後。最下位。「運動会で走ったけどべべタやった」 ベタはは「柿のヘタ」のヘタ(端)、「尻臀(べた)」のベタと同系。ベタを強め、音頭を重ねてべべタとした。べッタ、ベベタコ、べべチャ、ベベチャコとも。丁寧にいうとオベタ。ドンケツも「びり」のこと。「負けてばっかり。またドンケツや」 ドンは罵りの意味の接頭辞。ケツは尻。ケツは墓穴のケツのように、もとは穴のことであった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(97)
マツイに思うこと

ヤンキースを世界一へと導いた松井秀喜選手のバットが、米クーパーズタウンの野球殿堂に寄贈される。優勝当時、ニューヨーク・タイムズなど各紙はマツイの活躍を1面トップで報じ、一夜明けてもニューヨークの熱気は冷めなかったという。ニュースでしか知らないが、その内容は痛快だ。最終戦は本塁打も含めて打棒爆発し、スタンドから『MVPコール』が起こるほどだったという。松井選手の印象は、安打記録で脚光を浴びるイチロー選手と対照的に、けがに苦しんできたというのがある。まるで、そのうっぷんを晴らすかのような活躍ではなかっただろうか。

インタビューで、「この日のためにチームと頑張ってきた」と答える松井選手は勝利の美酒をあおっても、冷静だといえる。普段でもめったに自身の打撃の話はしないらしい。「チームのために」が口癖だという。愛するヤンキースとは今年が契約最終年。ファンの関心は、もっぱら松井選手の去就だ。「チームもファンも大好き」と残留を希望しているが球団側は手術後もひざに不安があるので再契約しない、と予測する報道もある。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「憧れの球団で野球がしたい」と、日本球界の引き留めを振り切って海を渡る。それだけに、ずっとヤンキースの松井であって欲しいと願うと同時に、めいっぱい暴れてくれるなら、どのチームのユニホームでもいいとも思う。野球に限らず、野球、サッカーをはじめとし、日本人選手が世界で活躍する姿が当たり前になってきている。スーパースターのイチロー選手とともに日本の、いや、世界のスポーツ愛好家たちに夢を与える伝説をつくり続けてほしいものだ…と、天を仰いで思うこと。
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びり。最後。最下位。「運動会で走ったけどべべタやった」 ベタはは「柿のヘタ」のヘタ(端)、「尻臀(べた)」のベタと同系。ベタを強め、音頭を重ねてべべタとした。べッタ、ベベタコ、べべチャ、ベベチャコとも。丁寧にいうとオベタ。ドンケツも「びり」のこと。「負けてばっかり。またドンケツや」 ドンは罵りの意味の接頭辞。ケツは尻。ケツは墓穴のケツのように、もとは穴のことであった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(97)
マツイに思うこと

ヤンキースを世界一へと導いた松井秀喜選手のバットが、米クーパーズタウンの野球殿堂に寄贈される。優勝当時、ニューヨーク・タイムズなど各紙はマツイの活躍を1面トップで報じ、一夜明けてもニューヨークの熱気は冷めなかったという。ニュースでしか知らないが、その内容は痛快だ。最終戦は本塁打も含めて打棒爆発し、スタンドから『MVPコール』が起こるほどだったという。松井選手の印象は、安打記録で脚光を浴びるイチロー選手と対照的に、けがに苦しんできたというのがある。まるで、そのうっぷんを晴らすかのような活躍ではなかっただろうか。

インタビューで、「この日のためにチームと頑張ってきた」と答える松井選手は勝利の美酒をあおっても、冷静だといえる。普段でもめったに自身の打撃の話はしないらしい。「チームのために」が口癖だという。愛するヤンキースとは今年が契約最終年。ファンの関心は、もっぱら松井選手の去就だ。「チームもファンも大好き」と残留を希望しているが球団側は手術後もひざに不安があるので再契約しない、と予測する報道もある。

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「憧れの球団で野球がしたい」と、日本球界の引き留めを振り切って海を渡る。それだけに、ずっとヤンキースの松井であって欲しいと願うと同時に、めいっぱい暴れてくれるなら、どのチームのユニホームでもいいとも思う。野球に限らず、野球、サッカーをはじめとし、日本人選手が世界で活躍する姿が当たり前になってきている。スーパースターのイチロー選手とともに日本の、いや、世界のスポーツ愛好家たちに夢を与える伝説をつくり続けてほしいものだ…と、天を仰いで思うこと。
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