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おやかまっさん 回遊魚 2010/08/18 12:00 am
回遊魚
7時。携帯電話にセットしているアラームが鳴る。ジャ〜ン、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン…文字で表わしにくいが「オペラ座の怪人」だ。この音楽が起床の合図。毎朝のように鳴る。さっき寝たと思ったのに…という目覚めが続く日々。『起きなくては…』とつぶやきながらも『もう少し寝ていてもいいか…』とも考える。『イヤイヤ、ここで寝てしまうと今日は働かなくなる…起きよう!』と気を取り直して起きる。こんな調子の朝がいったい何日続いたことだろう。

日々の雑多の中で更新を断念したブログ。5月1日までは続けていたが、そこで断念。気がつけば、もう8月の半ば。5月、6月、7月と1回しか更新していない。この間、色々とブログのことを考えていた。といっても毎日考えていた訳でもない。時折思い出したように自分のブログにアクセスしていただけだ。不注意にも書き込まれてしまったスパムコメントの削除も気の向くままに行っているが、何せ面倒な作業なので長時間は続かない。まだ10000コメントぐらいの削除をしなければならない。このこともブログを再開する決意を鈍らしている。何よりも一度中断してしまったものを再開する「きっかけ」が見つからない。続けていたものをやめると死んだようになる。まるで泳ぐのをやめると死ぬ回遊魚と同じ。

ブログを更新することがなくなった生活に慣れてしまうと『ブログなんて…どうでもいいや』と考えている自分がいることにも気づく。『そろそろ起動しなくては…』との焦りもいつの間にか消えてしまっていた。また、インターネットを通じて知り合った方々へ不義理を働いている自分への嫌悪も重なっている。『何事においてもキチンとしないと気がすまない性格が自分を更に苦しめているようだ』と自己分析。この性格を変えなくては『しんどい』のは理解している。しかし、反面、それが『自分の個性で、良い所でもある』と感じている。新しい職場環境にはまだ慣れていないというのが最大の原因でもあるが、こればかりはどうにもならない。

写真も最近は撮っていない。しかし、撮りたいと思うようになってきている。きっかけは「ピクスタ」だ。たまたまテレビで紹介されていたサイト。別にお金儲けをしたいわけではない。生活費は仕事で稼げている。自分の撮った写真がどれほどのニーズがあるのかを試したいと思った。今、「ピクスタ」のことを色々と調べている。こんなことがキッカケで死にそうになっていた回遊魚が蘇ろうとしているのも不思議なものだ。以前のように毎日更新をする気力はまだない。「今京都」や「天を仰いで思うこと」をどのようにしていくかの知恵もない。しかし、そろそろ復活したいと感じるようになってきた…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。

7時。携帯電話にセットしているアラームが鳴る。ジャ〜ン、ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン…文字で表わしにくいが「オペラ座の怪人」だ。この音楽が起床の合図。毎朝のように鳴る。さっき寝たと思ったのに…という目覚めが続く日々。『起きなくては…』とつぶやきながらも『もう少し寝ていてもいいか…』とも考える。『イヤイヤ、ここで寝てしまうと今日は働かなくなる…起きよう!』と気を取り直して起きる。こんな調子の朝がいったい何日続いたことだろう。

日々の雑多の中で更新を断念したブログ。5月1日までは続けていたが、そこで断念。気がつけば、もう8月の半ば。5月、6月、7月と1回しか更新していない。この間、色々とブログのことを考えていた。といっても毎日考えていた訳でもない。時折思い出したように自分のブログにアクセスしていただけだ。不注意にも書き込まれてしまったスパムコメントの削除も気の向くままに行っているが、何せ面倒な作業なので長時間は続かない。まだ10000コメントぐらいの削除をしなければならない。このこともブログを再開する決意を鈍らしている。何よりも一度中断してしまったものを再開する「きっかけ」が見つからない。続けていたものをやめると死んだようになる。まるで泳ぐのをやめると死ぬ回遊魚と同じ。

ブログを更新することがなくなった生活に慣れてしまうと『ブログなんて…どうでもいいや』と考えている自分がいることにも気づく。『そろそろ起動しなくては…』との焦りもいつの間にか消えてしまっていた。また、インターネットを通じて知り合った方々へ不義理を働いている自分への嫌悪も重なっている。『何事においてもキチンとしないと気がすまない性格が自分を更に苦しめているようだ』と自己分析。この性格を変えなくては『しんどい』のは理解している。しかし、反面、それが『自分の個性で、良い所でもある』と感じている。新しい職場環境にはまだ慣れていないというのが最大の原因でもあるが、こればかりはどうにもならない。

写真も最近は撮っていない。しかし、撮りたいと思うようになってきている。きっかけは「ピクスタ」だ。たまたまテレビで紹介されていたサイト。別にお金儲けをしたいわけではない。生活費は仕事で稼げている。自分の撮った写真がどれほどのニーズがあるのかを試したいと思った。今、「ピクスタ」のことを色々と調べている。こんなことがキッカケで死にそうになっていた回遊魚が蘇ろうとしているのも不思議なものだ。以前のように毎日更新をする気力はまだない。「今京都」や「天を仰いで思うこと」をどのようにしていくかの知恵もない。しかし、そろそろ復活したいと感じるようになってきた…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


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今京都 盆の入り 2010/08/13 12:00 am
盆の入り

盂蘭盆会(お盆)は、釈迦の弟子目蓮が餓鬼道に墜ちた母親を救うために、多くの僧たちに食事を供して供養したという「盂蘭盆経」に書かれた説話に由来し、この日が旧暦7月15日だったことから、15日前後に先祖や故人の霊を供養する日となった。現在では「月遅れの盆」という8月15日を中心にいとまれる地方が多く、京都でも本日(13日)が盆の入りとなる。

豊臣秀次の菩提寺として知られる瑞泉寺では、いまではめずらしい家形の「盆灯籠」という木箱行灯を墓に吊るして先祖を迎える。ビルの谷間の墓地が、行灯のやさしいあかりに照らされる。16日に「盆灯籠」は一般公開されるという。

今年の8月は14日・15日が土・日ということもあり、何の恩恵もないお盆となりそうだ。普通に土日の休みという印象がある…今京都。
※そろそろ復活したいと考えていますが、なかなかパターンが創れません。もう少し時間がかかるかも知れません。


盂蘭盆会(お盆)は、釈迦の弟子目蓮が餓鬼道に墜ちた母親を救うために、多くの僧たちに食事を供して供養したという「盂蘭盆経」に書かれた説話に由来し、この日が旧暦7月15日だったことから、15日前後に先祖や故人の霊を供養する日となった。現在では「月遅れの盆」という8月15日を中心にいとまれる地方が多く、京都でも本日(13日)が盆の入りとなる。

豊臣秀次の菩提寺として知られる瑞泉寺では、いまではめずらしい家形の「盆灯籠」という木箱行灯を墓に吊るして先祖を迎える。ビルの谷間の墓地が、行灯のやさしいあかりに照らされる。16日に「盆灯籠」は一般公開されるという。

今年の8月は14日・15日が土・日ということもあり、何の恩恵もないお盆となりそうだ。普通に土日の休みという印象がある…今京都。
※そろそろ復活したいと考えていますが、なかなかパターンが創れません。もう少し時間がかかるかも知れません。


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今京都 祇園祭 2010/07/11 12:00 am
祇園祭
「コンチキチン」のお囃子が、まだ熱気がこもる宵の街に聞こえると、旧市街の人びとはそろそろしてくるという。京都の7月は、祇園祭一色の月だといっても過言ではない。

昨日の10日は「鉾建て・神輿洗い」の日だ。鉾建て職人が槌音を響かせて祇園祭の鉾建てがはじまる。鉾は釘を一本も使わずに組み立てられ、「縄がらみ」という手法でワラ縄を使って接合される。長刀鉾は高さ25m、重さ12トン。直径2m、500kgの車輪だけでも7個の部品からなる。約3日かけて鉾は建てられる。しかし、鉾建てに設計図はない。口伝で代々伝えられている。

同じ10日の夜、「神輿洗い」神事がある。神幸祭の三基の神輿のうち、素戔鳴尊(すさのおのみこと)の分霊をのせる「中御座」の神輿が「ホイット、ホイット」のかけ声で提灯や松明に先導されて八坂神社から四条大橋につくと、多くの人に囲まれ見守られるなか鴨川の水につけた榊で清められる。

明けた11日の今日、祇園祭は「鱧祭」と別称される。梅雨の雨をたっぷり飲んだ鱧は味がよくなるといわれ、京都の人は、この時期の鱧を楽しみにしているという。鱧の生命力は強く、海が遠い京都の人にとってまれな「生きた魚」だった。小骨が多いために3cmの間に20回以上包丁を入れる「骨切り」がなされる。切り落とした鱧を湯通しして氷水でさっと冷やして梅肉をつけて食べる「鱧おとし」、切り落とした鱧にタレをつけて焼く「鱧焼き」、焼いた鱧皮を細かく刻み薄切りキュウリと酢の物にした「鱧キュウ」、焼鱧を押寿司にした「鱧寿司」など、貴重な海の幸を京人はとことん食べ尽くしてきたのだろう…今京都。
※スパムコメントの削除がまだ十分にできていません。本格的な復活まではまだ時間がかかります。ご容赦ください。

「コンチキチン」のお囃子が、まだ熱気がこもる宵の街に聞こえると、旧市街の人びとはそろそろしてくるという。京都の7月は、祇園祭一色の月だといっても過言ではない。

昨日の10日は「鉾建て・神輿洗い」の日だ。鉾建て職人が槌音を響かせて祇園祭の鉾建てがはじまる。鉾は釘を一本も使わずに組み立てられ、「縄がらみ」という手法でワラ縄を使って接合される。長刀鉾は高さ25m、重さ12トン。直径2m、500kgの車輪だけでも7個の部品からなる。約3日かけて鉾は建てられる。しかし、鉾建てに設計図はない。口伝で代々伝えられている。

同じ10日の夜、「神輿洗い」神事がある。神幸祭の三基の神輿のうち、素戔鳴尊(すさのおのみこと)の分霊をのせる「中御座」の神輿が「ホイット、ホイット」のかけ声で提灯や松明に先導されて八坂神社から四条大橋につくと、多くの人に囲まれ見守られるなか鴨川の水につけた榊で清められる。

明けた11日の今日、祇園祭は「鱧祭」と別称される。梅雨の雨をたっぷり飲んだ鱧は味がよくなるといわれ、京都の人は、この時期の鱧を楽しみにしているという。鱧の生命力は強く、海が遠い京都の人にとってまれな「生きた魚」だった。小骨が多いために3cmの間に20回以上包丁を入れる「骨切り」がなされる。切り落とした鱧を湯通しして氷水でさっと冷やして梅肉をつけて食べる「鱧おとし」、切り落とした鱧にタレをつけて焼く「鱧焼き」、焼いた鱧皮を細かく刻み薄切りキュウリと酢の物にした「鱧キュウ」、焼鱧を押寿司にした「鱧寿司」など、貴重な海の幸を京人はとことん食べ尽くしてきたのだろう…今京都。
※スパムコメントの削除がまだ十分にできていません。本格的な復活まではまだ時間がかかります。ご容赦ください。


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おやかまっさん 油断していた 2010/06/20 2:40 pm
油断していた

無条件でコメントを開放したのはしくじった。気がつけばスパムコメントの山、山、山。止む無く再びコメント欄を閉じさせていただくことにする。コメントを頂戴した方々には改めて御礼に伺います。新しい環境にも少し慣れてきたので、このブログの復活も検討していた矢先のことだ。ちょっと出鼻をくじかれた感じ。とにかく迷惑なコメントを全て削除しなければならない。それだけでも相当の時間を費やしそうだ。

そのコメントの整理が終わり次第、復活するつもりであるということをお伝えしておきたい…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


無条件でコメントを開放したのはしくじった。気がつけばスパムコメントの山、山、山。止む無く再びコメント欄を閉じさせていただくことにする。コメントを頂戴した方々には改めて御礼に伺います。新しい環境にも少し慣れてきたので、このブログの復活も検討していた矢先のことだ。ちょっと出鼻をくじかれた感じ。とにかく迷惑なコメントを全て削除しなければならない。それだけでも相当の時間を費やしそうだ。

そのコメントの整理が終わり次第、復活するつもりであるということをお伝えしておきたい…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


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天を仰いで思うこと 5月の空と鯉のぼり 2010/05/01 12:00 am
5月の空と鯉のぼり

5月の空と鯉のぼり。この光景を、故岡本太郎さんは好きだったという。ある文献によると、「あんな大きな魚が空を泳ぐんだよ。凄いイマジネーションじゃないか」とのことだ。考えてみると、岡本さんの立ち位置はいつも子どものそばのような気がする。「表現欲」というのは一種の生命力で思いのほかに激しいもの。子どもの場合などをみると、非常によくわかる」とは『今日の芸術』(光文社)だ。表現スペース「子ども工房」(京都市北区)では、その生命力に触れることができると聞く。紙と絵の具に飽き足らず、多様な材料で表現を膨らませる子どもたち。見守る大人は決して「無理」と言わない。表現を通じて心を開放してほしいと願うからだという。

ある日、男の子が電車に見立てた硬い木に、車輪を通す穴を開けると言い出した。錐(きり)と格闘すること2時間。見事に穴が貫通した。その日以来、その子は泣かなくなった。これは「子ども工房」でのワンシーンだという。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「それぞれのキラッと光るものを育て、自信をつけてあげたい」。人の模倣を強いられず、自由に表現できた喜び。それは成長した時に一歩踏み出す力になると、「子ども工房」は信じている。大切なのは、大人が子の「キラッ」に敏感になれるかだろう。ならば、大人こそ自由でありたい。岡本さんはそんな大人を「これはやってはいけないことだと思われるようなことこそ、大ていの場合、むしろやらなきゃいけないことである」(「芸術と青春」光文社)で励ます。この言葉を胸に、今年の「こどもの日」を過ごしてみたい…と、天を仰いで思うこと。
すみません しばらく更新を休みます


5月の空と鯉のぼり。この光景を、故岡本太郎さんは好きだったという。ある文献によると、「あんな大きな魚が空を泳ぐんだよ。凄いイマジネーションじゃないか」とのことだ。考えてみると、岡本さんの立ち位置はいつも子どものそばのような気がする。「表現欲」というのは一種の生命力で思いのほかに激しいもの。子どもの場合などをみると、非常によくわかる」とは『今日の芸術』(光文社)だ。表現スペース「子ども工房」(京都市北区)では、その生命力に触れることができると聞く。紙と絵の具に飽き足らず、多様な材料で表現を膨らませる子どもたち。見守る大人は決して「無理」と言わない。表現を通じて心を開放してほしいと願うからだという。

ある日、男の子が電車に見立てた硬い木に、車輪を通す穴を開けると言い出した。錐(きり)と格闘すること2時間。見事に穴が貫通した。その日以来、その子は泣かなくなった。これは「子ども工房」でのワンシーンだという。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「それぞれのキラッと光るものを育て、自信をつけてあげたい」。人の模倣を強いられず、自由に表現できた喜び。それは成長した時に一歩踏み出す力になると、「子ども工房」は信じている。大切なのは、大人が子の「キラッ」に敏感になれるかだろう。ならば、大人こそ自由でありたい。岡本さんはそんな大人を「これはやってはいけないことだと思われるようなことこそ、大ていの場合、むしろやらなきゃいけないことである」(「芸術と青春」光文社)で励ます。この言葉を胸に、今年の「こどもの日」を過ごしてみたい…と、天を仰いで思うこと。

